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ハイクラス転職のクライス&カンパニー

本質的な自分を知り、何が良いのか迷う前にまずは世界を見ること。自分の強みを最大限活かし、好きで継続できるものでなければ、到底世界レベルにはたどり着けない。

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為末 大 氏プロフィール

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年9月現在)。現在は人間理解のためのプラットフォーム為末大学(Tamesue Academy)の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

人間の「思い込み」と「偏見」という阻害要因を打破することが、今の自分のパッション。

丸山
2個目のメダルを獲った時は、どういう状況だったのでしょうか?
為末

1個目のメダルを獲ってからスランプになってしまって、当時大阪ガスに所属していたのですが、いわゆる燃え尽き症候群で目標を見失っていた状態でした。会社でやるというのは、当時陸上ではよくあるパターンでつまらないなと。それから、世界に行くと企業スポーツというのは実は日本だけであり、海外の選手は全員プロとして海外の陸上レースで賞金を稼ぎながら回っていて所属先が無い。定額が払われる自分と賞金で食っている彼らのハングリー精神の差は結構大きいのではという気分になりまして。あとは、大阪に行って粛々と生活している中でもう少し派手に一旗あげたい気持ちもあり、プロになったというのはありましたね。

丸山
マネジメント事務所に入っても、食い扶持は自分で稼がないといけないですよね。
為末

我々の収入は、スポンサーからの収入と陸上の試合での賞金なのですが、一番良い試合の一番良い賞金で当時1万ドルくらいでした。僕が獲得していた賞金は大体4~5番目で1試合につき5000~6000ドル程度で、これが年に約10試合あるので大体年間で日本円にして400万~800万ほどになります。そこから、エージェント手数料として15%ほど引かれる他、渡航費などもかかります。G1・G2・G3とグレードが分かれていて、一番上のクラスが1万ドルであるのに対し、一番下のクラスになると一位でも2000~3000ドル程度です。上のグレードでは本当にオーガナイズされているのですが、下のグレードになるとオーストリアの小さな町大会という感じで、ゴールした途端にその場に賞金の封筒が置いてあって自分で掴むということもありました(笑)。今考えると、面白かったし貴重な体験でしたね。

丸山
会社を辞めてプロになると決意した時のターニングポイントは何だったのですか?
為末

プロになりたい選手は数多くいましたが、当時は会社を辞めることがあまり良くないと思われていて、実際に辞めたのは僕だけでした。背景を説明すると、JOCが「がんばれ!ニッポン!キャンペーン」で選手の肖像権を一括管理してスポンサー収入を得ており、その一部を選手に渡しつつ全体の選手強化費用にするシステムだったので、プロになるのはこのシステムから外れることを意味していて、若干センシティブな話でした。今で言えば、芸能界で事務所を辞める話に近いかもしれない。会社からすれば、一人抜けてしまうと他への影響も色々あるのではと懸念も大きかったようです。最後は、東京で部屋を契約したと言ったら「そこまで言うなら」と新たな道を応援してくれましたが、そこに至るまでの交渉は2~3ヶ月かかりました。会社としても選手が辞めたらメディアにアナウンスしないといけないし、何で辞めたのか等色々聞かれるわけですね。それでも、皆がやらないことでもやはりそうすべきだと自分が思ったらやった方がいいなと。もう1つは、ダメだと思うことも狂ったようにやれば皆が折れるというのはありますね。狂ったようにやって「あ、こいつヤバイ」と思ったら皆手を引く(笑)。実際、本当にヤバかったら僕が自滅するだけなので。

丸山
それでは、結構当時は抵抗があったのですね。
為末

そうですね。メダルを獲る前に勧誘してくれた会社だったので、メダルを獲って知名度が上がったら辞めるのかという、会社からそう言われてはいないものの僕の中でそう感じてしまうところもありました。ちょうどその時に父親が亡くなったのですが、祖父がテレビ局に勤めていたこともあって父は新聞社の広告部門に入り、本当はやりたかったわけでもない仕事をずっと続けていたものの、いざ痩せ細ってあと半年で死ぬという時になると、僕たちに対しても「とにかくやりたいようにやるのが大事」というモードで話すようになってきて。そこで感じたものが後押しになった部分もありましたね。

丸山
なるほど。その後で言うと、引退は分かりやすい大きなターニングポイントですよね。当時はどんなことをお考えになり、どういうビジョンを掲げていたのですか?
為末

最初は「俺はこんなものでは終わらないぞ」「俺は陸上だけじゃない」という気持ちが9割で、それを見せたい気持ちが強かった気がしますね。それが失敗の原因でもあるのですが。今になって自分なりに腑に落ちているのは、自分の人生の可能性を狭めている一番の要因は「思い込み」だったということです。思い込みは偏見や古い慣習から来ていて、それが打破された時に人の可能性は驚くほど広がる。それは我々の世界でもよくあって、100m・10秒の壁も日本では20年間破られなかったのに、一人が破ったら一気に3人雪崩れ込んできて、そんな壁は無かったかのようになっている。そういう現象を見ていると、本当に人間の思い込みの影響はとても強くて、それを打破するには今までと違うものを見る瞬間が重要だなと思います。 一方で、別の観点で言うと、人をカテゴライズする偏見も人の能力を阻害していると思っていて、これを打破することが自分の大きなパッションになっています。世の中の思い込みをどうやって外していくか。それが自分の競技人生の中で自分なりに悩みながらやってきたことでもあるし、「会社にいながら競技をやるものだ」という思い込みと闘っていたのも今思えばそうですね。現役時代は、日本人が誰もやったことがないことを自分がやることでヒーローになったり社会にインパクトを与えたりできたけれども、引退後は自分ではできないので、事業を通じて次世代の選手たちをサポートしたいと思うようになってきています。何かを積み重ねて教えていく教育と、殻を破って思い込みから解放させる教育があると思いますが、私は後者の役割ですね。ブータンやネパールの子供たちは、インド・中国と聞くだけで「でかい奴らが来る!」と委縮してしまうので(笑)、少しずつ打破していく中でヒーローが出てくればいいかなという思いで活動しています。 引退した後の経験から思うのは、国内では自分自身にいろんな側面があると思っていますが、グローバルに出ると結局スポーツとしての側面しか通用しないということです。自分はどこまで行ってもスポーツの人間ですし、自身も引退後にスポーツのアイデンティティが芽生えてきた感じがあります。それからスポーツビジネスの世界は、「観る」スポーツの割合が圧倒的に大きい一方で、する側のビジネスはそれほど注目されていません。僕はスポーツを「する」側にいた人間なので、その意味でもスポーツ選手の可能性を拓く領域で戦いたい、ということに至っています。

丸山
最後に、この記事の読者に向けてキャリアや生き方のアドバイスをいただけますか?
為末

僕は引退して2つ思ったことがあります。1つは、まず世界を見るということです。我々の時代は、カール・ルイスが世界陸上で来日したり、高野進さんがオリンピックで決勝進出したりと世界への扉が開きかけた時代でした。世界で戦うという発想から始まると競争が激しく上に行くのが難しいので、結果として選択肢が狭まる。言い方を変えると世界から始まると迷わないんですね。すごい人を見ると、これだとどうせ行けないということも分かるので、早々にあきらめがつく。数少ない自分の強みを最大限活かすことができ、好きで継続することも問題無く、かつ自分の育ってきた特性にも合っているものでないと到底世界レベルにはたどり着けないので、世界レベルの競争環境に触れると「これもできるかな」「あれもできるかな」と迷うことはほぼ無くなります。あとは、本当にそこまで行きたいかどうかです。そういう意味では、ハードルを選んだことに迷いは無かったですね。もう1つは、自分をよく知らないとどこに身を置けばうまくいくかも分からないので、自分を知ることはとても大事です。

丸山
為末さんは自分を知るためにどうやっていたのですか?
為末

本質的な話で言えば、修羅場で自分がどんな反応をするのかを後で自ら分析するのが早い気がします。僕らは人前で負けたりするので、そこで瞬間的に「恥ずかしい」とか「なにくそ」と思う選手もいれば、萎える人間もいます。その後にはもう少し理性的な「こうあるべき」という感情が出てくるのですが、瞬間に出てくる反応はもう少し本能的なものがあると思います。僕の場合は、辛いときや負けた時に「平気だよ」という感じで隠すところがあります。国内の試合ではあまり負けないのでそういう面は出ないのですが、海外の試合で本当に自分が負けた瞬間にその感情が出てきたので、「自分は何かを取り繕う傾向があるから、それが逃げにつながらないようにするためにもむしろ晒していく方向に行かないといけないのではないか」と感じていました。修羅場でも何でも良いのですが、そういう本質的な自分を知ることが大事な気がしますね。

構成:神田昭子
撮影:櫻井健司

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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