ハイクラス転職のクライス&カンパニー

医者になるか。経営者になるか。大切なのは「覚悟」を決めること。私はこれからも、自分が掲げたビジョンを追い求めていく。

公開日:2014.07.18

「集合知により医療を変革する」というビジョンを掲げて、医療×ITという独自のビジネスモデルで成長を続け、2014年6月には東証マザーズへの上場も果たしたメドピア。このメドピアを創業した石見陽氏は、現役の医師という変わった経歴の持ち主だ。石見氏はなぜ、この事業を立ち上げ、経営者としても力をふるうようになったのか。その決断の背景を語っていただいた。
石見陽氏のプロフィール写真

石見 陽 氏プロフィール

株式会社メドピア / 代表取締役社長(医師・医学博士)

1999年、信州大学医学部を卒業し、東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。 研究テーマは、血管再生医学。 2003年12月に若手医師のネットワーク「ネット医局」を設立し、代表に就任。 2004年12月に株式会社メディカル・オブリージュ(現メドピア株式会社)を設立。 2014年6月に東証マザーズ市場へ上場。現在も、一週間に一度の診療を継続し、医療現場に立つ。 日本内科学会認定内科医。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

自分は流されやすいタイプ。意志を持って起業したわけじゃない。

――
そもそも石見さんは、学生の頃から「ビジネスをやりたい」というお考えがあったのですか。
石見

いえ、そうした気持ちはまったくありませんでした。医者を志していましたし、とにかく国家試験を現役で通ることが学生時代の大きな目標でした。ただ、パソコンが好きで、在学中から独学でホームページを制作したり、あるいはブログで日記をつけたりと、早くからSNSの走りのようなことに興味を持っていました。その経験は、いまのビジネスに何かしらつながっているかもしれませんね。あと、英語も勉強しました。長野県の松本という狭い地方都市で暮らしていたのですが、駅前でデートすると必ず知り合いに遭うという有様で(笑)、そうした環境に閉塞感を覚えて、自分の世界を広げたいと思っていて、そのためのツールがパソコンや英語だったんですね。

――
石見さんは医学部を卒業されて東京女子医大に入られますが、当初は医師として臨床の道に進もうとお考えだったのでしょうか。
石見

ええ。私は1999年に東京女子医大の循環器内科に入局し、心臓カテーテルのスペシャリストを目指していました。その領域を究めようと大学院に進んだのですが、東京女子医大でカルテ改ざんという不祥事が起こり、患者さんがまったく来なくなってしまったのです。専門医として力を振るおうと意気込んでいた矢先に、出鼻をくじかれてしまった格好で……そんな折、東海大学の方から『研究をやらないか』とお声がけいただいて、そちらで血管の再生医療の研究に取り組むことになりました。それまで臨床に携わっていた時はスケジュールに追われて忙しかったのですが、研究活動は比較的余裕があって、空いた時間に知人に誘われて異業種交流会に参加したのです。

――
医師の方が異業種交流会に参加されるというのは珍しい気がします。
石見

はい、そうした場に医者が参加するのは珍しかったようで、けっこう注目されました。私自身も違う業界の方々と話をするのは楽しかったですし、そうした交流のなかで『医者のビジネスって世の中にあまりないよね』とまわりからうまく祭り上げられて(笑)、だんだん起業を意識し始めたという感じです。もともと新しいことを考えるのは好きでしたし、いま世の中に足りないものを企画していくのは面白いなと。で、当時、「医者の人材紹介会社への一括登録」というサービスがまだ世の中になかったことに目をつけて、これを事業化してみようと仲間二人と一緒に2004年の末に会社を立ち上げました。

――
いろいろな偶然が重なって、石見さんは起業することになったのですね。
石見

そうなんです。自分はもともと流されやすいタイプで、この時も特に強い意志をもって起業したわけじゃないんです。正直に言うと、このサービスなら楽に立ち上げられるな、というぐらいの気持ちでした。でも、実際にスタートアップする段になると、やはり大変で…一括登録先の人材紹介会社を開拓する時も、ビジネス経験などまったくなかったので、プレゼン資料を作ってお客様先を回っても全然相手にしてもらえず、本当に苦痛で楽しくなかったですね。

――
それでもやり遂げたのは、何がモチベーションになっていたのですか。
石見

一社二社断られたからといって投げ出してしまうのは、自分が負けた感じがして、それだけは嫌でした。「5社契約できればスタートしよう」と決めて、とにかくやり切ろう。それが果たせなかったら諦めようと、当時はそんな気持ちでしたね。努力のかいあって最終的には人材紹介会社を11社集め、2005年の3月にサービスをローンチすることができました。

『いつ本気でやるのか?』パートナーからのその問いかけで、私は変わった。

『いつ本気でやるのか?』パートナーからのその問いかけで、私は変わった。

――
会社を立ち上げられた当初は、医師の仕事と両立されていたのですか。
石見

そうです。週に1日、このビジネスに関わって、あとは研究活動に勤しんでいました。あくまでもこのサービスは副業だという感覚でした。それでもサービスが軌道に乗ってくると、月によっては200万円以上稼げるようになり、3人で年間3000万円ぐらい売上が上がるようになりましたが、その時は何の理念もビジョンもありませんでした。

――
そんな石見さんがビジネスに軸足をシフトされるようになったのには、どんなきっかけがあったのですか。
石見

ちょうどその頃、mixiが大いに盛り上がっていて、私も血液内科医のコミュニティに参加していたんです。最初、そこでは医師同士で濃い議論や情報交換が行われて、とても有意義な場だったのですが、そのうち一般の方も加わって患者さんから質問が寄せられるようになって……医者というのはボランティア精神のある人が多いので、そうした声に応えていくうち、コミュニティが質問だらけになって議論ができる状況ではなくなっていったのです。それが個人的に残念で、医師に限定したコミュニティというのはニーズがあるのではと思い、自分でコミュニティを創ろうと考えたのです。

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――
それが、「集合知により医師を支援する」という現在のメドピアのサービスにつながっているわけですね。
石見

そうなんです。2006年の初め頃に、Web上で医師向けのコミュニティを立ち上げようと決心し、それから1年ぐらいサービス化に向けて準備しました。そのためにはまず資金とシステムが必要で、銀行やベンチャーキャピタルを回って資金を手当てし、それからシステム開発の委託先を探しました。本来、こうしたWebサービスは常にユーザーの声に対応していかなければならないため、システム開発を内製化すべきなのですが、当時はそうした考えに及ばず、パートナーとなる企業を人脈を使って開拓していました。そして提携先が見つかり、2007年の冬に都内のホテルで一緒にキックオフ合宿を行ったんですが、そこでアライアンス先の企業の社長から『石見さん、いつ本気でやるの?』と質問されて、『えっ』と言葉に詰まってしまって……それまでサイドビジネス感覚で、週のほとんどは医師として活動していましたし、私は「アイデアだけ出せばいい」というスタンスでした。でも、気がつくとたくさんの人を巻き込んでいて、そんな第三者的な甘い立場で関わることは許されなくなっていた。私は少し鈍いところがあって、その時初めて自分が担うべき責任の大きさに気づかされたのです。

――
その提携先の社長の言葉が、石見さんにとって大きな転機になったと。
石見

ええ、それで「もう本気でやるしかない」と、それまでの時間の使い方を逆転させて、医師の仕事は週一日、それ以外はすべてビジネスに注ごうと決心しました。いま振り返ると、やはり大切なのは「覚悟」だと思いますね。本気でビジネスに取り組もうと心を決めると、まわりの見る目も変わってきた。それまでは、医者がビジネスをやっているという物珍しさから私と付き合ってくれていた人が多かったように思いますが、覚悟を決めてからは、それまでお会いしたことのない経営者の方々とも人脈ができました。

――
そうして石見さんはビジネスに軸足を移したわけですが、医師としてのキャリアを究めることに未練はありませんでしたか。
石見

それまで私は、医師であったり、起業家であったり、自分が生きていくためのいろんなカードを持っていたわけですが、すべてをかなえることはやはり難しい。どこかのタイミングで一枚を選ばなければならない。私が挑もうとしている事業が成功すれば、世の中の医師の方々の力になることができ、その先にいらっしゃる多くの患者さんを救うことにつながる。臨床医という立場でなくても、患者さんのために貢献できる。そう腹落ちすると、ビジネスの世界を突き進むという決断に特に迷いはありませんでしたね。

経営者としても「覚悟」を決めた。これからも理念を本気で追求する。

経営者としても「覚悟」を決めた。これからも理念を本気で追求する。

――
メドピアは最近、株式を上場されましたが、これまでの成長過程はどのようなものでしたか。
石見

経営者としては失敗の連続でした。特に「人」のマネジメントには本当に苦労しました。医師の集合知サービスを立ち上げた2007年頃から積極的に人を採用していったのですが、私は「人さえ増えれば自分が楽になる」と思っていたんですね。でも現実はまったく逆で、人が増えると経営者としての責務がどんどん重くなっていく。当時は本当に未熟でしたから、本来は事業ありきで組織を考えるべきところ、人ありきで組織を考えていた。新しい社員が入ってくると、その人ができることに合わせて組織をつくったり、そんな適当なマネジメントをしていくうち迷走してしまって……。経営層がしっかりしないから、現場もいい加減になり、サービス自体は商品力も向上して社会で注目されるようになったものの、内部のマネジメントはボロボロ。振り返ると、当時はお互いに尊敬しあう文化がまったくといっていいほどありませんでした。そして歪みが臨界点に達し、2011年に社員が大量退職してしまいました。

――
そんな大きな挫折を経験されていたのですね。
石見

20名ほどいた社員が7名になってしまい、その時は本当に呆然としました。私自身、組織に所属した経験がなかったので、なぜ人が辞めるのかわからなかったんです。その時、残った社員と腹を割ってとことん話してみると、社内のコミュニケーションがまったくなっていなかったことに気づかされた。ほんの小さなコミュニケーションの積み重ねが実はとても大切なことで、それからは社内のFace to Faceのコミュニケーションを絶えず意識しようと努めました。そして、もうひとつ、腹を括ったことがあるんです。忙しいから人を採る、という経営はやめよう。自分たちのミッション、ビジョンを掲げて、それに共鳴してくれる本気の人だけと一緒にビジネスをやっていこう、と。ビジョンを共有できていれば、現場から間違った答えは出てくることはありません。いまは、絶えず社員と対話してビジョンを確かめ合うことが、経営者としての自分の大切な仕事だと強く感じています。

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――
その時も、経営者として「覚悟」を決められたことが、後の成功につながっているように思います。
石見

その通りですね。どんなに忙しくてきつくても、単に能力があるというだけでは人材を採用しない。「ビジョンの共有」を大切にしよう。そう覚悟してからは、権限移譲もスムーズに進み、会社もうまく回るようになったように思います。

――
石見さん自身は今後、どのようなビジョンを描いていらっしゃるのですか。
石見

私たちがこのビジネスに取り組んでいるのは、世の中に貢献しているという実感を得たいからです。現在の当社はIT企業にカテゴライズされるのかもしれませんが、技術を優先して、医師や患者さんが置き去りになるのは本末転倒。あくまでも「医師を支援し、患者を救う」ことが私たちの理念であり、そこからはけっして外れない。社員も患者さんへの貢献を真に実感できる仕事がしたいと強く望んでいますので、これからも医師の集合知サービスをさらに進化させ、より実際の臨床の現場にも入り込んでいきたいと考えています。私自身もいまも週に一日は臨床の現場に立ち、日々感じる患者さんのリアルなニーズをサービスの進化に活かしていきたいと考えています。

――
利益と理念の両輪を追求されている姿勢は、本当に素晴らしいと感じます。
石見

ありがとうございます。事業ですから利益を出すことも大切です。最初の頃は、医療に関わるビジネスでお金儲けすることに抵抗を感じたこともありました。そんな折にたまたま読んだのが、世間でも有名なあの『ビジョナリー・カンパニー』。理念を本気で追求することが、利益を最大化することにつながるというその本の主張に私は感銘を受け、そこから迷いはなくなりました。理念の追求と利益の追求は、トレードオフじゃない。自分たちの掲げるビジョンを本気で追い求めよう。そうした青臭いことを堂々と主張できる稀有な組織として、この素晴らしい仲間たちと共にこれからもぶれずに邁進したいと思っています。

構成: 山下和彦
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

今回お話しを伺わせていただいた石見さんはご自身のブログ等からも伝わってくるとおり、真面目で純粋、そして自責性の高いとても謙虚な方でいらっしゃいます。医師としての臨床現場で患者さんを想う気持ち、医療現場の疲弊感、閉塞感を憂う気持ち、そして経営者としてそのビジネスで世の中に貢献していきたいという情熱。こうしたそのときそのときの立場を通じて感じる「想い」を本気で実現するため、日々の苦難にも純粋な気持ちで向き合い生きてこられた方であることをあらためて感じました。 想いに素直に、そして出会いや助言に素直に生きる。そうして医師から起業家、上場企業の経営者へと立場を変化させてこられた石見さんもまた、まさに「Planned Happenstance Theory(※)」を実践されている方でした。青臭いことを堂々と言える組織のトップとしてご活躍されていく姿を、微力ながらこれからも応援させていただきたいと思います。 ※計画的偶発性理論:スタンフォード大学J.D.クランボルツ教授らが提唱した「不確実な現代において、自分らしく生きるためのキャリア形成理論」

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