ハイクラス転職のクライス&カンパニー

好きなことに向かって、真っ直ぐに生きる。大切なのは、どれだけ責任感をもって役割を果たせるか。

公開日:2017.03.08

2002年にアメリカで創業し、サードウェーブコーヒーという新潮流を巻き起こしている「ブルーボトルコーヒー」。2015年より日本に進出し、現在店舗を順調に拡大しているが、その事業を率いているのが井川沙紀氏だ。さまざまな企業で経験と実績を積んできた井川氏に、その生き方とキャリア観について詳しく話をうかがった。
井川沙紀氏のプロフィール写真

井川 沙紀 氏プロフィール

ブルーボトルコーヒージャパン合同会社 / 取締役

1980年兵庫県生まれ。
新卒で大手人材派遣会社に入社。その後、ベンチャーインキュベーション会社を経て、2010年に米国のソフトプレッツェルブランド展開に従事。日本展開におけるPR、販促、採用などを担う。13年に日系外食企業にてハワイでのレストラン事業展開に参画。14年11月にブルーボトルコーヒージャパン合同会社に広報・人事マネジャーとして入社。15年6月に取締役に就任。16年11月には6店舗目となる品川カフェがオープン。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

ビジネス志向は皆無。たまたま20代で新規事業の立ち上げを経験。

――
ご経歴を拝見させていただきましたが、好奇心と行動力の高さに驚きを隠せませんでした。そんな井川さんはどのような幼少期を過ごされたのですか。
井川

ずっとクラシックバレエに打ち込んでいました。2歳の時に始めて、大学を卒業するまで続けていました。かなり厳しい指導のもとでレッスンを受けてきて、プロになりたいと思ったこともありましたが、大学を受験する頃に自分の限界を感じまして。それ以降は少し熱が下がり趣味でバレエを楽しんでいました。

――
かなり本格的にバレエに取り組まれていらっしゃったのですね。その経験は、いまのご自身に何か影響していますか。
井川

バレエというのは、みんなで協力して一つの舞台を作り上げていくものなんです。ひとつの演目のなかで、自分に与えられた役回りをそれぞれ最大限に演じて、ひとつの完成形を作る。ですから「勝ち負け」という思想がないんですね。

個人的には負けず嫌いな性格ですが、バレエをしている時は「誰かより秀でよう」という意識はまったくなく、とにかく自分の役割を果たすために自分を高めていかなければという思いで取り組んでいました。そうした環境にずっと身を置いてきたからか、社会に出てからも自分の役割をとにかく果たそうという姿勢で仕事に取り組んできたように思いますね。

――
大学を卒業されて社会に出る時は、どのようなキャリアをイメージされていらっしゃったのですか。
井川

正直に言えば、特に何がやりたいということもなく、就職に対してネガティブでした(笑)。ビジネス志向でもありませんでしたし……

ただ、働くことは好きでした。大学時代はアルバイトを7つ掛け持ちして、土日もフルタイムで働いていましたし、やるべきことをきちんとやって、それで周囲から感謝されることにやりがいを感じていました。きっとそこに自分の存在意義のようなものを見出していたんでしょうね。

――
あまりビジネス志向ではなかったというお話ですが、新卒で入社した人材サービス会社では、新規事業などを担っていらっしゃいますよね。
井川

帰国子女だったこともあって、留学や旅行のサービスを手がける子会社に配属になり、いきなり新規事業の立ち上げに関わることになりました。1年目に新しいサービスをひとつ任されて、2年目にはパリで中長期滞在者向けの民泊事業をやるという話になり、たまたまフランスに留学した経験があったので、お客様の開拓から、現地でのお客様のアテンドまで任せてもらって……毎日めちゃくちゃハードに働いていました。

――
そうした状況を井川さんは自然に受け入れていたのですか。
井川

いえ、「なんでこんなに働いているんだろう?」と思っていましたし、かなりストレスも感じていました。フランスでの民泊事業を手がけていた時など、もう辛すぎて毎日泣いていましたし(笑)。まあ、当時はあまり深く考えず、とにかく自分のもとに来た球を必死で打ち返していた感じでしたね。

そして3年目、今度はオランダとの合弁で新しい人材紹介会社を設立することになり、そこに関わることになりました。とにかくずっと大変でしたけど、次第に新しいビジネスを創ったり、サービスをローンチすることが楽しいと感じるようになってきて、それで新規事業を立ち上げるノウハウをもっと学びたいと4年目にインキュベーション会社に転職しました。

――
そのインキュベーション会社では、どのような仕事を経験されたのですか。
井川

最初は人事アシスタントとして、投資先に送り込む人材の採用に携わっていたのですが、上層部が「投資先の価値を高めていくためにはPRが重要だ」という認識になり、それまで社内でPRを専門に手がける人材がいなかったので、PR業務を任されることに。まったく経験はなかったのですが、外部のPR会社の力もお借りして、本体と投資先あわせて6社の事業広報をそれから4年間ほど担当。そこでPRの仕事にとても魅せられたのです。

キャリアチェンジを重ねて、自分が本当に楽しいと思えることが見えてきた。

キャリアチェンジを重ねて、自分が本当に楽しいと思えることが見えてきた。

――
PRの仕事に、井川さんはどのような魅力をお感じになられていたのですか。
井川

投資先のベンチャーは、そこに関わるみなさんで必死でビジネスに取り組んでいます。それを私がPRして、たとえば新聞記事などに取り上げてもらえれば、世間から注目されて営業活動にもプラスになりますし、社員の方々はもちろん、そのご家族も喜んでくださる。ベンチャーにスポットを当てると、みんながハッピーになれるのが私もうれしくて、PRの仕事にとてもやりがいを感じていました。

しかし、その後私もPR専任から新規事業の開発にも関わることになって……そこであらためて、仮説検証を繰り返して新しいビジネスを創っていくことの大変さを思い知ると共に、私には事業の種を見つけ出していくような才能はないということも痛感しました。でも、軌道に乗りそうな事業をPRでさらに加速させることはできるかもしれない。そちらのほうが自分に向いていると感じ、PRのキャリアを活かして新規事業に貢献できる場はないかと探していたところ、経営支援を手がけるリヴァンプに出会ったのです。

――
リヴァンプに注目されたのは、どのような理由からですか。
井川

当時、リヴァンプは米国から「クリスピー・クリーム・ドーナツ」を日本に初上陸させて注目を集めていましたが、こうした純粋なスタートアップではなく、すでにあるブランドを日本市場で展開するライセンスビジネスなら、新規事業にPRで関われそうだと考えたのです。そして、たまたまリヴァンプが「アンティ・アンズ」という米国のプレッツェル専門店を日本に導入しようとするタイミングで、日本における第一号社員として採用してもらったのです。

――
これはまた大胆な行動に出られましたね(笑)
井川

その時も「とにかくやってみたい」という気持ちだけで、あまり深く考えずに飛び込んだ感じでしたね(笑)。そちらには3年強在籍しましたが、本当にいい経験をさせてもらいました。以前のインキュベーション会社では、あくまで投資先をサポートする側で、本質的なところでは事業にコミットしていませんでした。

でもここではまさに自分が当事者であり、PR業務だけというわけにはいかない。結局、私の次に採用された第二号の社員の方が店舗運営を担い、それ以外の人が入るまでは資材調達や人材採用などの管理系業務は私がすべて手がけることになって……。

――
井川さんご自身としては、PR業務以外にも関わりたいという意欲はお持ちだったのですか。
井川

結果としてそうなった、というのが実情ですね。自分が関わるからには何とかしたいと思うタイプなんだと思います。自分が採用したメンバーたちが店頭に立つと、やはり彼らのお店を売れるようにしてあげたいと思いますし、そうして想いをつぎ込む先がどんどん増えていって、気がつくといろんなことをやっていたという感じです。

――
当時は井川さんも30歳前後だったかと思いますが、ワークライフバランスなどを意識し始める頃ではありませんでしたか。
井川

実はリヴァンプに移る時、将来の自分のキャリアについていろいろと思い悩んだことがあったんです。ゆくゆくは結婚して子供をもうけることになるでしょうし、育児と両立していくためには、やはり制度の整った大企業のほうがいいのではないかとか……

それで大手企業の広報などのポジションに応募していくつか面接を受けたのですが、どこもピンと来ませんでした。いま思うと「女性のキャリアはこうあるべきだ」という思い込みがあったのかもしれません。そのうち、もういいやと吹っ切れて、自分のやりたいことをやろうと。で、やりたいことは何かと考えると、やはり自分はスタートアップに関わって事業の発展に貢献していくことが楽しい。それでリヴァンプに飛び込んだのです。

――
リヴァンプからまた別の企業に井川さんは移られていますが、それはどのような経緯だったのですか。
井川

そのプレッツェルの会社はとても好きでしたし、まったくのゼロの状態から1号店を立ち上げて16店舗にまで拡大したのですが、”多店舗展開”といったビジネス戦略と日本におけるブランド戦略との間で、私自身の気持ちを収束させるのが難しいと感じることが増えてきて、ここで一区切りつけようとリヴァンプを離れました。

その後、大手外食チェーンのトリドールから、ハワイで立ち上げたブランドを世界に広めていく新事業を展開していくので、そのハワイの基幹店づくりをやってみませんかというオファーをいただいて、ブランドそのものを創るところから関われるのは面白そうだとお受けしました。

1年ほどハワイに滞在して店舗を立ち上げましたが、ここからどうしようと悩んでいました。そんな折、ブルーボトルから「日本市場に参入するのでPR業務ができる人材を探している」と声をかけていただいて、日本に戻ってくることになりました。

しがみつかない。ただ後悔だけはしないように、自分のやりたいことをやる。

しがみつかない。ただ後悔だけはしないように、自分のやりたいことをやる。

――
ブルーボトルコーヒーに参画しようと意志決定された最大のポイントは、どのようなものだったのでしょう。
井川

もともと知っていて好きなブランドでしたし、100%子会社として日本で事業を立ち上げようとしていることに魅力を感じました。日本に入ってくる海外のブランドホルダーの想いと、国内で事業を拡大しようとするライセンサーの考えは、それぞれの立場や思いがあって、PR担当として板挟みになることもありました。でも、ブルーボトルというブランドバリューがあって、100%子会社でPR業務ができるのなら、きっと納得のいく面白い仕事ができるに違いないと。

――
当初はPR担当としてブルーボトルに入られたのですね。
井川

ええ、しかもオファーを受けた際、「3カ月くらい経てばきっと私は要らなくなると思うから」とあらかじめ伝えていました。これまでの経験から、スタートアップのローンチはできる自信はありましたが、でも重要なのはその後どう事業を発展させていくかということ。PRの専任担当として私をずっと雇う意味はないと思っていましたし、その時は私を切っていいですよと。

――
「3カ月後にクビを切っていいですよ」などと言って入社される方なんて、これまでお会いしたことがありません(笑)
井川

余計な社員を抱え続けるとスタートアップ企業にはリスクになるんじゃないかと思いました。でも結局、正社員として入社することになったのですが、3カ月後にオープンする予定だったものの、現場は手付かずになっているところが多く、PR業務以外の人材採用、制度設計など、全てやることになって、最終的に半年後には日本法人の代表まで務めることになってしまいました。

――
異例の抜擢だとお見受けします。葛藤や不安はありませんでしたか。
井川

正直代表の座に就くのは断り続けていたんです。経営者になろうなどと思ったことは過去一度もありませんし、私自身もそんな覚悟なんてありませんでした。でも、創業者のジェームス・フリーマンから「あなたにお願いしているのだから、その決断をした僕たちを信じてくれ」と熱心なメッセージをもらい、それでやってみようと引き受けることに決めました。

――
おそらく井川さんはブルーボトルに入社された時から、事業全体に関わって経営に近い仕事をされていたと思うのですが、実際に日本法人の代表のポジションに就いて心境などに変化はありましたか。
井川

いま振り返ると、就任当初は「代表」という自分のタイトルにとらわれ過ぎていたかもしれません。「経営者はこうあるべき」という思いが強くて、コーヒー業界はまったくの素人だったこともあって、「本当に私でいいのか」と悩んだこともありました。

そこでもジェームスが「沙紀らしくやればいいじゃない」と声をかけてくれて、それで気持ちが楽になった。私は強力なリーダーシップは発揮できないけれども、社員みんながそれぞれの役割において、最大のパフォーマンスを発揮できる環境を整えてあげることはできるかもしれない。

いわば「指揮者」のようなスタイルで仕事をすればいいんだと。それまでは自分自身がいかに周囲に貢献するかということが私の代表者としてのアイデンティティーでしたが、いまは自分がいなくても回る環境をいかに作るかということのほうが面白いですし、そこでの人の成長を見るのがとても楽しく思えます。「こうあるべき」に縛られなくなってからは、とても楽になりました。

――
井川さんは、ご自身が信じるもの、好きなものに向かって真っ直ぐに生きていらっしゃる印象があります。一方で、世の中には自分がやりたいことに気付きながらも、その気持ちに蓋をして一歩踏み出さない方もいらっしゃいます。井川さんは、なぜそこまで大胆に行動できるのでしょうか。
井川

たぶん、しがみついていないんだと思うんです。いまのポジションも、私よりも良い人がいればいつでも代わっていいと思っています。別にいまのポジションから離れても、私が失うものは特に何もありませんし、きっとどうやっても生きていけると思うんですよね。

なので、全く怖くないかといえば嘘になりますが、毎日後悔がないように生きていきたいという気持ちのほうが圧倒的に強いですね。ブルーボトルに入社してから本当に一生懸命働いていますが、「もっとできたことはあった」と思うことはあるものの、後悔した日は一日もありません。決して100点でないかもしれないけど、一日の終わりで自分の最大限は出し切ったといえる毎日を送っているつもりです。

――
経営志向はまったくなかったとおっしゃられる井川さんが、代表の立場を楽しんでいらっしゃることがとても興味深いです。最後に、井川さんのように自分らしく生きていきたいと思う方々に向けてメッセージをお願いします。
井川

私は目の前のことをしっかりやろうと向き合っていたら、いつの間にかここに至っていました。そこにご縁も運もありましたが、結局大事なのは、自分で選んだ好きな仕事をどれだけ責任感をもってやれるかということだと思っています。責任がちゃんととれる人は周りへの影響力も大きくなって、おのずと役割もひろがっていきます。

ポジションにしがみついたり、タイトルを上げることを第一の目標にしていると、目標に辿り着けないことや失うことにリスクを感じて行動を起こせなくなるんじゃないかと思います。それよりも、そのとき本当に自分がやりたいことに素直になって、それを責任感もって成し遂げていくことだけを考えたほうがシンプルでいいのではないかなと思います。そうすれば、必ず目の前にいろんなチャンスが巡ってくるはずです。

また、キャリアアップという言葉がありますが、私にとってのキャリアにはアップとかダウンとかのイメージはありません。例えるなら旅のようなものなのかな、と考えています。まさに今、旅路の途中ですが、行き先は自分にもわかりません(笑)。自分の好奇心に素直になって、そのときそのとき考えていこうと思います。

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

直接お会いしたのは今回のインタビューが初めてだったのですが、お話しを伺い井川さんがなぜ常に楽しそうにされていらっしゃるのか、その理由がわかったような気がしました。井川さんはキャリアを「旅」に例えられていましたが、まさにそこにヒントがありました。 人生やキャリアを考える際に、その理想と現実のギャップに苦しくなってしまう経験はおそらく多くの方が身に覚えがあるのではないかと思います。このような理想と現実の狭間で自分を苦しめるのはいつも「…たるもの、こうあるべき」「…を実現するなら、こうしなくてはならない」といった一般的な固定観念だったりします。 井川さんは、こうした「こうあるべき」から解放されたとき、本当の自分らしさを得られたと語られました。「しなければいけない」というコトバには、そのように出来なかったときのリスクや恐怖が内包されます。このような緊張状態では、きっと苦しさが心を支配してしまいます。 井川さんのおっしゃられるとおり、まさに旅をするかのごとく、自分の好奇心が働くほうへ、ただ真っ直ぐに歩き続けることが、本当の意味で自分らしい人生ということなのでしょう。「そっちに進んだらリスクがありそうとか、そのやり方は上手くいかなそうとか、世の中に出回っている情報に左右されずに、自分の経験だけを信じたほうがいいと思います。」とも語っていただいた井川さんはガイドなど手にせず、自分が感じたことのみを信じて歩を進めていらっしゃいます。 井川さんがこの先、辿り着く景色はどんなものであるのか、とても興味深く感じたインタビューでした。

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