ハイクラス転職のクライス&カンパニー

実績ある人材こそ、進んでベンチャーに行くべきだ。日本をそんなチャレンジングな国に変えていきたい。

公開日:2014.10.14

新卒で入社したリクルートで実績を重ね、その後、転職したグーグルでも大きな成功を収める。そんな輝かしいキャリアを持つ小川氏が、40歳を過ぎて新たなチャレンジの場として選んだのが、KAIZEN platformという産声を上げたばかりのベンチャーだった。小川氏はなぜ、有名企業から離れてKAIZENに参画したのか。これまでのキャリアを振り返ってもらった。
小川淳氏のプロフィール写真

小川 淳 氏プロフィール

KAIZEN platform Inc. / カントリーマネージャー

リクルートでモバイルASP事業の立ち上げ、じゃらんでのエリアプロデューサーを担当後、グーグルで広告営業部門の立ち上げ、業界営業部門の立ち上げから責任者、広告代理店事業の責任者を歴任。さまざまな講演活動ならびに行政機関での勉強会なども実施。同社では、世界中でも限られたマネージャーにのみ与えられる“Great Manager Award”を当時日本で唯一受賞するなど高い実績を誇る。その後、2014年2月よりKAIZEN platform に参画し、国内事業を統括するカントリーマネージャーを務める。KAIZEN platformは、あらゆるウェブサービスのUI改善を効率化する、グロースハックツール+グローバルクラウドソーシングのプラットフォームである「planBCD」を企画開発する新進気鋭のスタートアップベンチャー。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

くすぶっていた20代。30歳を超えてから、一気にギアがトップに入った。

――
小川さんはどんな学生時代を過ごされたのですか?
小川

大学時代はひたすらテニスに明け暮れていました。当時はたぶん、私が世界でいちばんテニスを練習していたんじゃないかというぐらいで……本気で「世界一」になりたいと思っていました。実は、あの錦織選手の所属するテニスクラブのカリキュラムで私も練習していまして、いわば彼は弟弟子なんです。向こうは私のことをまったく知らないと思いますが(笑)。学生時代、関西地区のチャンピオンになったこともあり、実際「アメリカに渡ってプロにならないか」いう話もありました。

――
プロのテニスプレーヤーになるという道もあったのですね。
小川

そうなんです。いま振り返っても、なぜそのオファーを受けなかったのか……やっぱり自信がなかったんでしょうね。それで結局、就職することに。しかし、同期で実業団で活躍している選手もいたりしたので、なかなかテニスは捨てられなくて、社会人になってからもずっとトレーニングは続けていました。だからリクルートに入社してからも、仲のいい先輩や同期から「小川は本気で仕事をしていない」ってずっと言われていました。

写真
――
就職先としてリクルートを選ばれたのはなぜですか?
小川

体育会のテニス部のキャプテンを務めていましたから、就職には苦労しなかったんです。銀行とか商社とか、体育会出身者を好みそうな企業からたくさんアプローチが来ました。でも、逆にそういう企業を自分は敬遠していたんですね。上下関係がはっきりしていて、先輩の言うことは絶対という体育会で学ぶことは数多くあったのですが、社会人では少し違う形の会社で働いてみたかったのです。当時の稚拙な表現でいうと、「場や年齢に関係なくきちんと議論ができる会社、まわりとケンカができる会社」に行きたかったんです。で、リクルートの人間に会った時、ここならケンカができそうだなと(笑)。実際、最初の配属はFAXなどの通信ネットワークを使ったマーケティングサービスを手がける部署だったのですが、白シャツと紺ネクタイを強要されるようなガチガチのストロング営業スタイルで、それに反発していきなりケンカしていました(笑)。でも、実力ある先輩たちがたくさんいて恵まれていたと感じています。いま、様々な業界で活躍されている方がたくさんいらっしゃいます。その当時の先輩方にはいまだに頭が上がりません。

――
そうした先輩方から「本気で仕事をしていない」と言われていたのですね。
小川

ええ、テニスにもまだこだわりがありましたし、3年ぐらいは営業にもあまり身が入らず、他の事業部で活躍している同期を横目で眺めながら、なんというかくすぶっていましたね。正直に言えば、そのとき仕事が面白くなかった。

――
そんな小川さんが仕事にのめり込むようになったのには、どんな契機があったのでしょうか?
小川

実は3年ほど経った頃、結婚しようと真剣につきあっていた女性にフラれたんです。私は関西出身なのですが、彼女と結婚するためにわざわざ大阪支社での勤務を希望したほど。本当にショックで、十二指腸潰瘍にかかって入院する羽目にまでなって……もうどうでもよくなって「転勤で東京に行ってもいいです」と言ったら、すぐに本社に異動になりました(笑)。それを機に、一回、テニスからも遠ざかって真面目に仕事をしてみようと。

――
小川さんが変わったのは「失恋」がきっかけだったと(笑)
小川

ええ、情けない話ですけど(笑)。でも、気持ちを入れ替えて真面目に仕事に取り組むようになると、だんだん成果が上がるようになり、仕事への興味が高まってきた。そして、東京に来て新規事業の立ち上げに関わったことが、私にとって大きな転機になりました。携帯を使ったマーケティングのASPサービスでしたが、面白そうだと手を挙げそこに参画。そして、そこから一気にギアがトップに入った感じです。その時はもう30歳を超えていましたから、ビジネスマンとしては遅咲きですね。

行動を止めると、自己肯定を始めてしまう。それに気がついて愕然とした。

行動を止めると、自己肯定を始めてしまう。それに気がついて愕然とした。

――
新規事業立ち上げというご経験は、小川さんにどんなインパクトをもたらしましたか?
小川

新規事業というのは、当たり前ですけど売上ゼロからスタートするわけです。それまでの部署はすでに確立された大きな事業だったので、自分の売上責任に対してあまりリアリティが持てなかった。でも新規事業は、たった10万円の売上でも部門の存続につながる。それがとても新鮮で刺激的でした。メンバーたちは「このモバイルASPサービスで日本の販促のあり方を変えよう」と、全員が熱く語っていて、自分もそこに加わって世の中を変えていくんだ、という思いに駆られていきましたね。

――
まさに当事者としてビジネスを考え、動かすダイナミズムと緊張感を味わったわけですね。
小川

そのとおりです。その当事者としてビジネスをグイグイ大きくしている毎日は、仕事が本当に面白くて、24時間365日、打ち込んでいました。でも2年半仕事に全身全霊を掛けた生活を続けていたら、さすがに燃え尽きてしまって(笑)……もうリクルートを辞めようとすら思ったのですが、その前にリクルートらしい部署を一度は経験しておきたいと希望したところ、旅行情報メディアの「じゃらん」を手がける部署に異動させてもらえることに。そこでの経験も、私に大きな影響を与えました。

写真
――
「じゃらん」の事業部では、具体的にどんな経験をされたのですか?
小川

エリアプロデュースという業務に携わったのですが、これは「旅行」のあり方そのものを「じゃらん」が変えていこう、という意欲的な取り組みでした。「旅行」とはそもそも何なのか?という定義から再構築し、そこで我々のやるべきことを徹底的に議論しました。リクルートというのは、以前に在籍していた通信サービスの事業部でもそうだったのですが、「この業界をどう変えようか」という熱い話が必ず出るんですね。それが私には心地良かった。この時も、大手代理店によるパッケージ旅行が主流だった業界において、我々のサービスによってユーザーと宿泊施設を直接マッチングできるようになって、業界全体が活性化したと自負しています。ここでの経験を通して、私自身、社会に貢献しない事業を手がけて何が楽しいのか、という想いが非常に強くなりました。世の中に変化やインパクトを与えるビジネスの醍醐味、それが自分の生き甲斐となることを知ってしまったのですね。

――
その後、リクルートを辞めることをご決断された。
小川

「じゃらん」の事業部にいた頃、突然「周囲に自分より実力のある人間はいないんじゃないか」と感じるようになったんです。それで、知人でもあり信頼できるキャリアコンサルタントに「最近こんな気持ちになってきたのだが、自分は思い上がっているのか?」と相談したら、「実力がついてくると誰しもが、そうして会社や組織と適度な距離を感じる時が訪れる」との指摘があり、まさにいまがそんなタイミングなのかなと冷静に考えるようになりました。

――
そうしたご自身の変化もあって、グーグルに転職されたわけですね。グーグルでのキャリアはいかがでしたか?
小川

テニスでは世界に出る前に辞めてしまったので、ビジネスではグローバルで活躍できるような、レベルの高いビジネスマンになりたいとグーグルに移りました。しかし当時私、英語がまったくできなかったんです。英語でのコミュニケーションが必要な会議に出ても、何も質問できない。リクルート時代は、会議で質問しないなどあり得なかったのですが、グーグルでは英語ができなくて馬鹿だと思われたくないから、アクションを起こさない。すると、知らず知らずのうちに自分の中で、英語で質問しない理由を探しているんですよ。そんな自分に気がついて愕然として……行動を止めると、人間はこんなにも自己肯定を始めるのかと。入社して数週間のことですが、グーグルでの非常に大きな収穫だったように思います。

――
小川さんは、グーグルでも大きな実績を残されたと聞いています。グローバルからも注目され、期待のマネージャーであったなか、なぜその環境や立場を敢えて離れようと思われたのですか?
小川

期待されていたかどうかはわかりません。ただ立場や周囲の期待とは裏腹に、自分自身に非常に強い危機感がありました。現場であろうがマネージメントであろうが、「現役」であることにこだわっていたので、社外の同年代とかリクルート出身で活躍されている方と比べて「個人として対決できるのか?」という点は定期的にチェックしていました。そして職種としての「営業、sales」に関してはプライドを持って働いていたので、会社の中の話が増えてくることに関してのセンサーは常に働いていたように思います。

あまりにお金や地位に固執すると、自分の人生が粗末になるような気がする。

あまりにお金や地位に固執すると、自分の人生が粗末になるような気がする。

――
自分自身への危機感からグーグルを退職されたとのことですが、ではなぜスタートアップのベンチャーに移られたのでしょう?
小川

リクルートもグーグルも、素敵な会社です。でも会社名や役職に固執してしまうと、自分の人生が粗末になるような気がしてきたんです。そういうものから自分を解き放って、看板も何もないスタートアップで、純粋に刺激的な仕事がしたかった。世の中に自分の力で貢献してみたかった。

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――
小川さんは42歳でKAIZEN platform に参画されていますが、40歳を過ぎてからベンチャーに転身することに躊躇はありませんでしたか?
小川

いえ。ベンチャーというと若い人間がチャレンジするイメージがありますが、実績がある人間こそベンチャーに行くべきではないかと私は思っています。そのほうが絶対に成功確度は上がりますし、そうして新しいビジネスが興ることが日本のためにもなる。実績があれば食いっぱぐれることもそうそうないでしょう。そう考えると躊躇することは何もありませんでした。ちなみに前職のグーグルではアメリカと関わる機会も多かったのですが、その時に強く感じたのは、アメリカではグーグルやアマゾンなどの大手からスタートアップに移るのは日常茶飯事なんですね。一度チャレンジしてからまた戻っていく人も多い。キャリアの積み方が多様なんですよ。個人的には、アメリカ流が好きなわけではないのですが、チャレンジする機会が多く、リカバリーもしやすい社会であるという点は見習うべきだと思っています。

――
KAIZEN platformを選ばれたのはどうしてですか?
小川

経営陣が魅力的な人間ばかりだったからですね。失敗した時に、子供に笑って話せる会社が良かったんです。「お父さんは変な人たちに惚れこんで失敗したんだ!がはは!」って(笑)。それぐらい、参画することに自然体で納得できる場でした。

――
いまは小川さん自身、どのような気持ちでビジネスに取り組んでいらっしゃるのでしょう?
小川

もともと「社会に貢献しない事業なんてやりたくない」という人間でしたが、ここに来て、ますますその思いが研ぎ澄まされてきたように思います。どうすれば儲かるかというビジネスモデルだけを考えるのなんて正直興味はありませんので、他の誰かに任せます(笑)。私はもう、ビジョンドリブン・ミッションドリブンでなければ動けません。いま福岡で取り組んでいる、地方でのクリエイティブ人材育成や雇用創出のプロジェクトもそう。世界的な大企業のサイト制作を、福岡のおばちゃんが担っている。そういう社会って素敵じゃないですか。このプロジェクトは私がリードしているので、私が足を止めたら終わる。かつてテニスで世界一を目指してやろうと突っ走っていた時のエキサイティングな感覚が戻ってきました。そして、これはゆくゆくの目標ですが、やはり自分の原点はスポーツなので、いつかはスポーツを通して人を感動させるようなビジネスにも取り組んでみたいと思っています。

――
最後に、今後のキャリアについて考えている30代40代の方々にメッセージをお願いします。
小川

リクルートにいた頃、本当に尊敬できる優秀な先輩がいました。私はその人に惚れ込んで、グーグルや現職に移ってからも何度か「こちらに来ませんか」とお誘いしたのですが、結局会社から引き止められたりと、オファーを受けてくれなかった。私は、そんな優秀で実績ある人材が“行動しない”のは本当にもったいないと思うんですね。リクルートで先輩が自らアクションを起こしているのなら全く問題ないのですが、もし立ち止まって、いろいろと身の振り方を“考えて”いるようであれば、そうした状況がいちばんまずいと思っています。行動が思考を縛り、50代にもなると動けなくなってしまいます。キャリアを積んだ実績ある人材が、どんどん“行動をおこし”、熱く日本を盛り上げていく。今後のキャリアを考えている方々がいらっしゃるなら、まず行動あるのみではないでしょうか。 また、KAIZENが成功して私がその一つのモデルとなり、賛同いただける方々にその火が伝播していくならこれほど嬉しいことはありません。日本人は凄く優秀で世界で活躍できるレベルの方がたくさんいると感じています。そのためにも30代40代が今チャレンジしないといけません。熱くいきましょう!

構成: 山下和彦
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

40歳を過ぎ、このままで良いのかという強い危機感からスタートアップに参画する決断をされた小川さん。ベンチャーへの参画というと、リスクを併せ持ったギャンブル的な印象を受ける方も多くいらっしゃるかもしれません。ただ、今回小川さんが何度もおっしゃっていたのは、経験と実績のある人であればそこにリスクなどない、ということでした。「勿論失敗するかもしれません、でもリカバリーはそう難しいことではないと思います。それだけの経験をしてきていますからね」と豪快に笑う姿からは一か八かのギャンブル要素は全く感じませんでした。まさに、そこにいるのはサラリーマンではなくご自身の人生の「らしさ」をピュアに楽しむ、エネルギッシュなビジネスパーソンそのものでした。見据えるビジョンは世の中を変えること。大袈裟では無く、自分らしさを開放してチャレンジする30代、40代がもっともっと産まれてくる、そんな世の中が本当に実現される期待とエネルギーに満ちたインタビューでした。 我々も志を共にさせていただき熱い世の中を創っていかねばならないと感じました。「まず行動ですね」という小川さんの強い言葉にとても刺激をいただきました。

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