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Turning Point プロフェッショナルのターニングポイント

プロフェッショナルのターニングポイント

子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃 子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃
世界の食糧危機という地球規模の問題解消に貢献するため、「イエバエ」というハエを活用したバイオマスリサイクルシステムを実現する昆虫テクノロジーカンパニー、株式会社ムスカで現在「暫定CEO」を務める流郷氏。2児の母でもあり、PR戦略の領域ではフリーランスとしても活躍されてきた流郷氏の生き方やキャリア観は、どのようにして形成されたのか。そのルーツに迫るべくお話を伺った。

流郷綾乃氏プロフィール

株式会社ムスカ 流郷綾乃

流郷綾乃

株式会社ムスカ / 代表取締役暫定CEO(※1)

1990年生まれ。2児の母。ベンチャー企業の広報として活躍後、フリーランスの広報として独立。スタートアップや大企業に対し、ブランディングからマーケティングまで一貫した広報戦略コンサルティングを提供。2017年11月、ムスカ執行役員として経営参画。2018年7月、現職に就任。
(※1)肩書きは、取材当時のものです

Contents

転機は、かけがえのない存在だった祖母の死。愛と思いやりをもって、人と向き合うように。

松尾
子供の頃はどんなお子さんでしたか。
流郷
クラスの皆が園庭で遊ぶという時間でも、靴を履くのも一番遅くて、ただただ鈍くさい子供でした。先生からは「マイペースなお子さんで」と言われていましたが、今振り返ってみると良い意味でも悪い意味でもマイペースということだったんだと思います。
松尾
現在ベンチャー企業のトップを務められる流郷さんから受けるイメージとは少し異なるように感じますが、その後どこかのタイミングで何か大きい変化はあったのでしょうか。
流郷
高校卒業後に祖母が亡くなったのは大きかったです。私はとてもおばあちゃん子で、友達から遊ぼうと誘われても、「おばあちゃんと映画に行くから」と断るほどでした。高校時代はタップダンスに全力投球していたのですが、それも祖母の影響でした。私はフワッとしている性格なのですが、逆に祖母はとてもテキパキとしっかりしているタイプで、強い人だとずっと思っていました。ただ、その祖母が突然亡くなったことで、「強いと思っていた人が実は強くなかったんだ・・」ということを初めて突き付けられた気持ちになりました。私はそれまでは本当に自由に生きていて、好きなことをやるために好きに生きていました。要は自分のことしか考えてなかったんですけど、そこから大きく考え方が変わったんですね。周りの人のことを大切にして守りたいと思うようになったのは、祖母の死が大きく影響しています。
松尾
大好きだったお祖母様の死が、流郷さんの生き方、考え方に多大な変化をもたらされた。
流郷
会う人に対して、その方々の人生のバックグラウンドに思いを巡らせながら接することを意識するようになりました。私は、よく「愛のある仕事をしよう」と言うのですが、メールひとつ送るにも受け取った人の気持ちを考え、相手に対する思いやりを持とう、と。どれだけ強いと思っている人でも皆どこか内面にガラスのような脆さを抱えているものなのだとわかったことが大きかったですね。21歳で子供を産む決断をしたのも祖母のことがあったからでした。
子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃 子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃

フリーランスになったのは、人に必要とされるのが嬉しいという想いが根底にあったから。

松尾
お子さんを生んだ21歳当時は、お仕事を始めた頃ですか。
流郷
はい、当時はチャイルドとマタニティ専門のアロマテラピーに携わっていました。つわりによる気持ち悪さを抑える香りとか、子宮の収縮が促されて赤ちゃんが生まれやすくする香りなど、現在アロマはかなり普及してきていますが、当時マタニティ専門はまだ珍しかったですね。
松尾
そこから今の立場になるまでには様々な変遷があったのだと思います。
流郷
子供を育てるとなった時に、「稼ぐなら歩合制の営業だ!」と、今思うと安直な発想ですが、そこからのスタートでした。OA機器の販売代理店に7人の腕利きの営業マンがいる中にいきなり女性が入った形です。ただ、歩合制の営業会社に入ったくせに当時の私はとにかく営業電話が嫌いで(笑)。「営業は無理!」とスパッとあきらめました。じゃあどうしようかと考え、自分から電話をかけて売り込まなくても、PRして注目してもらえればお客さんの方から来てくれるだろうと単純に考えました。一番初めに構想したプレスリリースが日本経済新聞の大阪版に大きく載り、これをきっかけにPRにのめり込むようになりました。今こうして振り返ってみるとPRという私のキャリアのスタートは営業からの逃げです。
松尾
なるほど(笑)。でも目的から逃げたということではなく、山の登り方を変えたということなのだと思います。仕事自体から逃げたわけではないですよね(笑)。
流郷
良く言えばそうですね。ただ戦略的にとか計画して行ったことでもなくて、偶然といえば偶然の選択だったような気がしています。私は会社経験としては2社しかなくて、そこからフリーランスになったのですが、その経緯というのも実は自分の積極的な意思ではなく、私が優柔不断だったからなんです。当時、ある2つの企業から声をかけてもらった際にどちらも選びたくて、そのことを正直にそのまま両社に伝え、工数も報酬も半々というフリーランスの形をとり2社ともやらせてもらうことになったというのが実情です。
松尾
さぁフリーになるぞ!ではなくて、1つに決められなかったからフリーという選択をされたと。
流郷
そうなんです。人に必要とされることが嬉しいという想いは自分の根底にずっとあります。
子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃 子供たちが80歳になった時でもこの事業の社会的意義は大きいといえるか、面白いと思えるか。株式会社ムスカ 流郷綾乃

「暫定CEO」という肩書にこめた想いとは。

松尾
ムスカさんとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?
流郷
元々はベイシズ創業者との出会いがきっかけです。当時はフリーランスでPRのコンサルティングをやらせてもらっていたのですが、長く居続ければ居続けるほど収益が上がるコンサルティングは私の本来やりたいビジネススタイルとは異なっていました。つまりPRというのはその会社の中に機能として実装されているべきだと思っていたのですが、まさにベイシズも同じ思想をもっており、その創業者の理念に共感しジョインすることにしました。そしてムスカにはベイシズの紹介でPR戦略を担う役割で関わらせていただいておりました。
松尾
そこからよくCEOの打診を引き受けられましたね。
流郷
そうですよね(笑)。プロフェッショナルとして、PR戦略上を考えると代表取締役に着任するメリットはあると考えました。その時はその選択がベターと考えたので引き受けることにしたのですが、葛藤はもちろんありました。私はバイオ系の人間でもないし、経営のプロフェッショナルでもないし・・・と。ただ、今は決して無理ではないと思っています。自分自身が永遠にCEOでいる必要はないとも思っています。あくまでポジティブに「暫定」だと。この会社は成長し続けるので、日本でこの企業のカルチャーを宣言するためにこの「暫定」という肩書にはかなり強い想いを込めていました。つまりステージ、ステージ毎にその時にあった経営陣に変えるということ。だから次のフェーズに最適な経営者や経営幹部を常に求めるということをメッセージとして肩書に込めたんです。そこにピンとくる方なら私達の考え方に共感してくれるはずだ、と。事業の成長が加速する中で、自分の能力や強みと事業ステージに乖離が出てきた場合は、即座に役職を降りる決断が出来る人でないとムスカのCEOや経営幹部には就けないと思っています。大手企業ではよく経営陣が替わりますが、スタートアップこそそれをやるべきだと。
松尾
実際には、スタートアップにおいて企業の成長と共に経営トップが替わっていくというケースはあまりないように感じます。
流郷
それはおそらくマーケット規模によるのかなと思われます。ムスカの事業は産業が広範囲にまたがるので、力を入れる方向性によって経営陣に求められる能力はステージごとに大きく変わってきます。ポジティブな「暫定」というのは社内外に向けたメッセージであり、これは私達のカルチャーとして会長以下、全メンバーが思っていることでもあります。

考えるのは、社会的意義の大きい事業に自分たちがどのように尽くし、成長を加速していけるか、その一点のみ。

松尾
本当に事業のことを第一優先に考えているということですね。想いを持って立ち上げた、まさに創業者的な考え方だなと思いました。流郷さんは後から組織にジョインされたのになぜそのような創業者視点に立てたのでしょうか。
流郷
純粋にこの事業が素晴らしいからじゃないですかね。この事業を潰してしまうことは社会的損失が大きいと考えています。会長の先代から、そしてその遺志を引き継ぎ、会長が守り続けたハエの命のバトンを、ここで潰すわけにはいかないんです。結局のところ、どんな地球を残していきたいですか?ということに帰結するのですが、この事業自体に自分たちがどのように尽くせるか、どこまで事業を成長させていけるか、というのが根本なのかなと。この社会的意義の大きい事業を絶対に成長させていきたい。そこしか考えていないからだと思いますね。
松尾
それは、相当強い信念を持たないとできないことですね。
流郷
単にハエの事業をやっていくというだけではなく、社会的意義を伝え続けないといけないと思っています。また、この事業の成長のために自分よりも相応しい人を見つけてくるのが大事ですし、その相応しい人を引っ張ってこれるくらいの圧倒的に強い想いのある人でいなければいけない。そのために自分の内面を育て続けないといけないと考えています。ハエの再定義自体とても面白い取り組みですし、本当に面白い会社で代表をやらせていただけていると思っています。
松尾
流郷さんのように世の中のために、を第一優先に動ける人が増えてくると社会が更に良くなっていくと思います。時代の変化にあわせて自分も変わっていく、そしてそのときそのときの状況をもっと楽しめないともったいないですね。
流郷
生きていると辛い、しんどいと感じることはたくさんありますが、それも含めて私は自分の置かれた状況を楽しむようにしています。そのためにもまず自分自身が今置かれている状況をいかに客観的に捉えられるかというのはとても大事なことだなと。また、楽しむという意味では、自分で創る勝手な一般的〇〇像のようなものに縛られて苦しんでいる人も良く見かけますが、あれも良くないなと。例えば、ここは正直自分でもたまに苦しくなることがありますが(笑)、母親像も「こうでなければいけない」という枠をつくってしまうとダメですね。その枠と自分とのギャップに苦しくなってしまいますから。また、学生と話すとよくキャリアのロールモデルについて聞かれることが多いのですが、私は全く答えられないんですよね。現在素晴らしく活躍している人がいたとしても、その人は自分とは全く異なる時間や環境を生きている人なのに、と。私は何かの枠を先に創ってしまうような考えはもっていないからか、なんだか自分らしくないなと思ってしまう(笑)。そういう指針がないと不安な人もいるのかなと理解はしますが、「もっと自由に生きられるんだよ」と。ただ自由も自由でやっぱり大変なんですよね。要は好みの問題ですね。
松尾
これからの時代は、キャリアも生き方も個としてもっと自由になっていくでしょうね。
流郷
その分大変なことも増えて責任も重くなっていきますが、自分自身が納得できていればそれで良いんじゃないでしょうか。
松尾
ここまで色々とお話を伺ってきましたが、流郷さんがこれだけエネルギーを持って自分らしく走り続けられる源泉には何があるのでしょうか。
流郷
シンプルに、私の場合は自分の子供たちです。私は、自分ひとりならそこまで未来を考えなくても生きていける人間で、過去→現在→未来が連続していて1分1秒が過去になっていく。ベルトコンベアで未来が自分の目の前に流れてくるようなイメージでまさに目の前の今だけをみてきた人間でしたが、子供が生まれたことで「自分の」ではなく「子供たちの未来」を考えるようになったんです。子供が80歳になったら、彼らにも子供や孫がいて、おじいちゃんおばあちゃんになっているかもしれない。その頃はどんな未来になっているんだろう?と想像するようになったんですね。今もベルトコンベアの考え方は変わらないのですが、子供がいることで意識が変わり更に得られる情報も増えたことで選択肢の幅も広がりました。自分はタイトルが欲しいとか、何になりたいとかという欲求はまったくなく、子供たちの未来にとって必要であり、かつそれが面白そうであればやる。それだけです。
松尾
自分が何かになりたい、という欲求ではなく、シンプルに子供のためであると。
流郷
そうです。本当に自分は何でもよくて、こうなって欲しいと言われたら基本的に何にでもなれる。やるかどうかの基準は、「子供が80歳になった時に、これって面白いのか?」という判断軸なんです。ハエって何?と最初はそう思うでしょうけど、よく聞くととても可能性を感じて面白いし、非常に社会的に意義深い取り組みでしょう。だからやる。面白いかどうかを考えてしまうのは、自分が関西人だからかもしれませんが(笑)。自分がとてもつまらない顔をして仕事をしている姿は子供たちに見せたくないですし、子供は敏感だから、そういう仕事をやっていると「辞めちゃったら?」と言ってきそうで。自分が面白く仕事をすることが、私にとっての子供に見せたい母親像だと考えています。サザエさんやちびまる子ちゃんに出てくるような家庭的なお母さんではないかもしれませんが。
松尾
まさに流郷さんらしさですね。
流郷
私は私でいいのかな、と思い始めているところです。色々紆余曲折もありますが、自分の生き方、スタイルがようやく安定してきたかな、と。世の中には色々な「一般的〇〇像」がありますが、変にその像に縛られずに、自分らしさを貫けるか。それが子供たちに見せていきたい「私の生き方」です。

構成:神田昭子
撮影:櫻井健司

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※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

インタビューを終えて

ハエを活用したバイオマスリサイクルシステムを実現しようとする非常にユニークな事業モデルのベンチャーを経営する流郷さん。他に類をみないテクノロジーを軸としたまだ見ぬビジネスを創り上げていこうとする方は、いったいどのような思いを胸に抱いていらっしゃるのか、そのモチベーションの源泉はいったい何なのか、キャリアを生業とするものとして好奇心に心躍らせながらお話を伺わせていただきました。

子供の頃はとにかくマイペースだったという流郷さん。大好きだったお祖母様を亡くされたことを機に周囲の人に対する愛を大切にするようになられたといいます。そんな流郷さんとお話をしていてとても特徴的だなと感じたのは、軸足を近視眼的に自分自身に置かれていない、ということでした。キャリアや生き方のお話をしているにも関わらず、自分はどうなっていきたいとか、何がほしい、というような自分の欲求を主にした表現はほぼ出てこず、社会にとって有益なこの(ハエの)事業に如何に尽くすか、愛する子供たちが80歳になったときの未来はどうなっているか、といった非常に大きな視点でお話をされている姿がとても印象的でした。「こうなって欲しいと言われれば基本的に何にでもなれる」、というのは言うは易しですが実際は色々な想いが交錯し、なかなか実行できるものではありません。しかしながら流郷さんは社会的な意義、そして子供たちの未来という揺るがない強い判断軸をもって何にだってなる、という自分らしい生き方を実践されていらっしゃいました。おそらくこの強い判断軸が自分自身のなかにあるか否かが、流郷さんらしさを形成する根本なのではないかと感じました。

CEOでありながら、暫定でもある。その暫定という肩書が将来どう変化していくのかとても楽しみであり、流郷さんの描く未来がどのように実現されていくのか出来る限りの応援をしていきたいと強く感じさせられるインタビューでした。流郷さん大変お忙しいなかありがとうございました。