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ハイクラス転職のクライス&カンパニー

誰もがみな、それぞれの宇宙、それぞれの未来圏へ。

Special Interview
「日本の30代、40代を熱くしたい」日頃この世代の方々とお会いしていてずっとこんな思いがありました。
そんな中この思いに賛同していただいたお二人(メジャーリーグでエージェントをされている三原徹氏と、
ノンフィクション作家の平山譲氏)のご協力を得て、ようやく実現した企画が「転機をチャンスに変えた瞬間」です。
第一線でご活躍されている方にも転機は必ずあったはずです。
その転機でチャンスをつかんだ、ピンチをチャンスに変えたからこそ今の活躍があるのだと思います。
その瞬間にはたらいたエネルギーの根っこにあるもの、ものすごいプレッシャーの中精神を支えたものとは。
ご登場いただく方々のメッセージを読んで、みなさんが熱く、熱くなっていただくことを強く祈念しております。

クライス&カンパニー 代表取締役社長 丸山貴宏


宇宙飛行士 野口聡一氏

東京大学大学院修士課程修了後、1991年に石川島播磨重工業に入社。航空宇宙事業本部に所属し、ジェットエンジンの設計及び性能試験業務を担当。
1996年にNASDA(現JAXA)が募集していた宇宙飛行士候補者に選定されて入社。NASAが実施する第16期宇宙飛行士養成コースに参加。
1998年にNASAよりミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)として認定。ロシアのガガーリン宇宙飛行士訓練センターにおける基礎訓練コースに参加。
2001年、スペースシャトルの搭乗員に任命。2005年7月26日から8月9日、スペースシャトル「ディスカバリー号」によるミッションに参加。スペースシャトルの安全確認のため、打上げ時の外部燃料タンクのビデオ撮影を行うとともに、3回の船外活動のリーダーとして活動。3回の船外活動の延べ時間は20時間5分。ディスカバリー号は13日21時間32分の飛行後、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地に着陸した。
2007年、国際宇宙ステーション長期滞在クルーのバックアップクルーに任命され、現在訓練中。

インタビュアー

クライス&カンパニー 代表取締役社長
丸山 貴宏
キャリアコンサルタント
松尾 匡起

Message

Interview

新たなステージに挑む魅力。

――
中学生の頃に見たテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で宇宙への憧れを強め、高校生の頃に見たスペースシャトルの打ち上げで「宇宙飛行士」が将来の夢になった野口聡一さん。大学受験に失敗して浪人したり、一般企業に就職したりと、「ぼくは普通の人だけれど、だからこそ言える。ぼくの経験はどんな人にも起こりうること」という。ただし、壮大な夢を長い間抱き続け、倍率572倍という難関である宇宙開発事業団の宇宙飛行士候補者に選抜されることは、もちろん、相応の努力や才能があってのこと。「偉大なる転職」を成功させ、夢を現実にした宇宙飛行士の、転機をチャンスに変えた瞬間とは──。
丸山
「宇宙飛行士になる」。子供の頃に多くの人が心に描いた夢を、実際に野口さんは長い時間をかけて実現されたわけですが、著書や講演でおっしゃっていることは、「夢の実現は夢じゃない」というメッセージ。これは多くの人々に勇気を与えているように思います。
野口
「今は情報が氾濫していて、いろんな選択肢があるがゆえに、自分が進むべき道を絞りきれない、といったことがあるように思います。また、どんなことにも困難はつきまとうはずなのですが、その困難ばかりを先に考えてしまい、やるのをよそうと断念してしまう。夢を見る以前に、夢を見ても叶わないだろうと、最初から諦めてしまう。面白そうだけど、大変そうだから何もしない……。でも、何もしない、ということは、何も変えようとしないということでもある。僕にしても、宇宙飛行士に選ばれた後でも、どんな困難が待ち受けているかわからなかったわけです。それでも、やりたいことをやろう、そう本気で思えるかどうかですよね」
丸山
野口さんは、幼い頃からずっと「宇宙飛行士になる」という一つの夢に向かって走り続けてきたのでしょうか。それとも、夢は夢として抱きつつも、先のことはあまり考えず、目の前のことをコツコツこなしてきたら夢に辿り着けたのでしょうか。
野口
「後者のほうが近いと思いますね。中学生の頃に見た宇宙の世界を描いたテレビアニメで、宇宙への憧れを強めたことは事実です。また高校へ入学してすぐ、スペースシャトルの打ち上げを見て、夢が目標に結びついたということもありました。高校3年生の進路相談のときには、その目標を口にしたことを覚えていますから。以来、『宇宙飛行士いいな』という思いは、ずっと変わりませんでした。だからといって、宇宙飛行士を目指してまっしぐらに突っ走ってきたかといえば、そうでもないんです。例えば会社に入って1年目に宇宙飛行士候補の公募があったのですが、そのときは応募しませんでした。それよりも、まだ今は会社で新しいことを色々覚えたいなと。その場その場でできることを一生懸命に考えながらやってきて、回り道しながらキャリアアップをしてここまで辿り着いた、そんな感じです」
丸山
宇宙へ行くというお仕事は、大きなやりがいもあると同時に、大きなリスクもあったと思います。倍率572倍という難関をくぐり抜けて宇宙飛行士候補に選ばれても、実際に宇宙へ行けるかどうかはわからなかったわけですから、会社を退職して新たな一歩を踏みだすまでには相当の覚悟も必要だったのでは。
野口
「やりたいからやるんだという、若さもあったと思います。応募書類を揃えて出すときから、自分で覚悟を決めて、決断をしました。新たなステージに挑むということに魅力を感じていたんです。いざ転職しようと思ったとき、多くの人は『転職した際のリスク』を考えて逡巡してしまうかもしれません。しかし、『転職しない際のリスク』というのもあるわけじゃないですか。だから、岐路に立って選択するときに、どちらのリスクも考慮した上で、そのリスクをおかして得るものはなんなのか、それを冷静に見極めなければなりませんよね」

急変と、先が見えない不安の中で。

――
宇宙開発事業団入社後、アメリカNASAの宇宙飛行士養成コースに参加。ミッションスペシャリストの認定を受けるまで、様々な訓練をして自分のスキルを高めていった野口さん。そしていよいよ、2001年7月に打ち上げが予定されていたスペースシャトル・エンデバー号への搭乗が決定する。しかし、打ち上げの延期があったり、搭乗シャトルの変更があったりしたのち、さらなる急変が野口さんを待ち受けていた。2003年2月、コロンビア号の空中分解事故によって、すべてのスペースシャトル打ち上げが凍結されることに。いつになったら夢の宇宙へ飛び立てるかわからない不安の中、それでも野口さんは、諦めなかった──。
丸山
宇宙飛行士の候補者にはなれても、実際に宇宙へ飛び立てるのはその中の一部。候補者になりたての野口さんには、もちろんまだ実績も経験もない。転職後、大きな不安もあったと思うのですが。
野口
「自分自身の能力をアピールするにしても、実績がなければ、評価してもらえません。もちろん最初は、できることも少なければ、自信も持てませんよね。そんなときは、やる気だけはある、それだけでもいいと思うんです。そして、自分を厳しく見つめて、立ち位置をきちっと把握し、そこから先に進むにはどういう勉強が必要なのかを考えることではないでしょうか。僕の場合、候補者に選ばれてからNASAで訓練するだけでなく、ロシアにも滞在して勉強しました。まだ西側の宇宙飛行士でロシア式の船外活動訓練をした人は珍しい時代で、しかも新人飛行士が突然星の街に乗り込んで来たわけですから、 これにはロシアの宇宙関係者も驚いたと思います。でもその経験が、後々活かせたということがありました。何が幸いするかわからないけれど、大切なのは、情熱なのかなと。情熱をもって、前向きに、積極的に仕事に向き合ってさえいれば、評価はあとからついてくるものですから」
丸山
コロンビア号の事故があり、スペースシャトル打ち上げが凍結され、もうすぐ宇宙へ飛べるはずだったのに、先がわからなくなってしまった。その後2年間以上、シャトルが打ち上げられない歳月がつづいたのですが、その時期には多くの宇宙飛行士が退職したと聞きましたが。
野口
「アメリカ人のドライさというのもあると思うんです。何かを身につけるのも早いけれど、それを捨ててしまうのも早いというか。たしかにあのときは、宇宙へ飛ぶという夢を持ち続けることのリスクもあったと思います。そのまま訓練しながらシャトル打ち上げ凍結解除を15年も待っていたけれど駄目だったとか。でも、僕はそのとき、夢を実現する可能性が低くなったからといって、ここで諦めてしまったら悔いが残る、そう思ったんです。だから、辛抱強く待とうと。希望的観測で、急に明日、凍結が解除されてすべてが好転すると期待していました。それがなかなかそういうことにはならなくて、最後は、もういいや、どれだけ待っても、このまま頑張ってみようと覚悟しました。そう決めたあたりで、打ち上げ再開が決まったんです。苦しい状況では、余計なことを考えず、打ち上げの日に備えて自分ができることをする、目の前のことだけに集中する、それだけを心掛けていました」
丸山
困難にも負けないだけの夢、それに傾注できる情熱。今、転職を希望している人の中には、まだそうしたものが自分自身の中には明確には芽生えておらず、逆にそうしたものを求めて新たなフィールドへ飛びだしてみたいと思っている人もいると思います。そうした人々へ、アドバイスをいただけますか。
野口
「自分の将来の輪郭を描いたときに、25歳の自分が望んでいた像と、35歳の自分が望んでいた像とで違ってしまう。そうしたことがあって当然だと思うし、逆に変化を怖がってしまうということもあるかもしれません。しかし、周りがみんな転職しているからとか、周りがみんな転職せずに残っているからとか、そんなふうに目標が不明瞭だと、自分の人生まで曖昧なものになってしまうと思うんです。そのとき、そのときで、ぶれてしまうことはあるにせよ、自分はこうありたい、そういう目標を描いてみて、まずは現実の自分と理想の自分とを線で結んでみる。その目標のために、転職が必要かどうかを考える。その線が結べない転職なら、ただ環境を変えても意味はないですよね」

「きぼう」への、さらなる挑戦。

――
2005年7月26日、いよいよ野口さんの「宇宙への旅」のカウントダウンが始まった。「何ものかが手を伸ばしてシートごとつかんで持ちあげていくような感触」の中、野口さんは夢の宇宙へと飛び立っていった。肺が押しつぶされてしまいそうな苦しさに耐え、約8分後のエンジン燃料停止後、野口さんを待ち受けていたのは、周囲のものがすべて踊り出す無重力と、数々の任務と、そして、宇宙から見る青く光る美しい地球だった。そして無事地球へ帰還すると、野口さんは、また新たな挑戦へとかりたてられていった──。
丸山
実際に宇宙に飛ばれ、夢を達成された野口さんですが、さらに今度は、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に長期滞在するという新たな挑戦のために準備を開始されています。そのチャレンジャースピリットを、私たちは畏敬の念を抱いて見守りつつ、ご成功をお祈りしています。
野口
「3年前、実際に宇宙へ飛び立つ前までは、帰ってきたら何をするかということは、まったく考えていなかったんです。目の前のことに一生懸命で、ワンステップずつ上がっていこうとしていた感じでした。ところが、任務を終えて地球に帰還したとき、最初に感じたことが、『もう一度宇宙へ行きたい!』ということだったんです。僕は、同じことのくりかえしは、あまりしたくないと思っています。どうせやるなら、今度は長期滞在という、新しい挑戦がしたかった。結果はわからないですけど、一つ一つの仕事で期待に報いていけば、チャンスを呼び込んでいけると信じています」
丸山
今の30代、40代はクールで、無我夢中になって何かに挑むという「熱さ」を、ともすると格好悪いものと思ってしまうような傾向があるようにも感じられます。
野口
「熱さがないと、何事にも挑戦できないと思います。熱さがあるからこそ、現状で満足せずに違った頂点を目指そうという意志が、強固なものになるのではないでしょうか。最初から冷めてしまうのではなく、まず、好きなことに熱中してみる。そして、熱くなりすぎてしまうと周囲が見えなくなってしまうこともあるから、その反作用として、熱い自分を後ろから見ている感覚も必要になる。熱さがなければ、自分自身に変化が起きにくいと思います」
丸山
最後に、今、転職を考えている30代、40代に、力強いメッセージをお願いします。
野口
「まずは、今の自分の姿を鏡に映し、自己評価をきちっとする。そのうえで、何をやりたいのかという意志をしっかりと持っていればいいのではないでしょうか。おそらく若い頃は、自分の姿が貧弱に映ることもあるはずです。できることが少ないし、自信もない。それでも、やりたいことをやり遂げる! そんな気持ちがあるかどうか。それもふまえての姿ですよね」

構成:平山譲

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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