ホーム >  TURNING POINT トップへ >  中竹 竜二 / 日本ラグビーフットボール協会 (Special Vol.002)

produced by Kreis & Company

Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

リーダーこそ、プライドを捨てて学び、自ら変わろうとしなければならない。日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター中竹竜二氏 リーダーこそ、プライドを捨てて学び、自ら変わろうとしなければならない。日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター中竹竜二氏
Special Interview
早稲田大学在学時にラグビー部のキャプテンを務め、卒業後は三菱総合研究所でコンサルタントとして活躍されていたものの、再びラグビー界に戻り、早稲田大学ラグビー部の監督に就任された中竹氏。チームに「フォロワーシップ」という新しいマネジメント手法を持ち込み、2期連続でラグビー部を全国大学選手権優勝に導いた。以降、日本ラグビー協会のコーチングディレクターを務め、指導者の育成に力を注ぐとともに、リーダー教育などを担う企業も自ら立ち上げ、培ったナレッジをビジネス界へ展開することにも力を注がれている。そんな中竹氏に、あらゆる組織において必要とされるマネジメントについて、クライス&カンパニー代表の丸山がお話をうかがった。

クライス&カンパニー
代表取締役社長 丸山 貴宏氏

大手就職情報会社の人事採用担当を約7年経験後、クライス&カンパニーを設立。前職からの候補者面談者数は10,000名を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。単に企業情報の提供に留まらず、「候補者の根っこのエネルギーを発掘する作業が我々の使命」がモットー。 1963年生まれ。

日本ラグビーフットボール協会
コーチングディレクター 中竹 竜二氏

1973年福岡県生まれ。93年早稲田大学人間科学部入学。4年時にラグビー蹴球部の主将を務め、全国大学選手権準優勝。97年卒業後、渡英し、レスタ―大学大学院社会学部修了。2001年三菱総合研究所入社。2006年早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任し、2007年度から2年連続で全国大学選手権を制覇。2010年2月退任。同年4月日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターに就任。2012年度はラグビーU20日本代表監督を兼任。2014年、株式会社TEAMBOXを創業し、スポーツマネジメントのエッセンスをビジネス界に紹介した。2016年春には、ラグビー日本代表チームをヘッドコーチ代行として率いる。

「自分にしかできないこと」が判断の軸。
だから敢えてカリスマ指導者の跡を継いだ。

中竹さんは、かつて三菱総研のコンサルタントから、まったく指導経験のないまま早稲田大学ラグビー部の監督に転身されました。早稲田ラグビーを立て直して大成功を収めた前任の清宮(克幸氏)さんから監督を引き継ぐという、苦労することが容易に想定される状況で、敢えて監督を引き受けられた経緯をあらためてお聞かせいただけますか。
大学時代、私はラグビー部のキャプテンを務めていましたが、選手してはそれほど秀でたプレイヤーではありませんでした。ですから卒業後、社会人でラグビーを続けるつもりはなく、英国留学を経て三菱総研でコンサルタントとしてキャリアを重ねていました。当時、早稲田のラグビー部は、清宮体制のもとで学生たちが非常に頑張っていて、何度も大学日本一に輝くなどたいへん喜ばしく思っていたのですが、そこに突然、清宮さんから「次はお前が監督をやれ」とオファーをいただいたのです。最初は冗談かと思いました。それまでラグビー界とすっかり離れていて、指導経験などもまったくありませんでしたし……しかも「早稲田のラグビー部の監督はすべてを費やさなければ務まらないポジションだから、フルタイムのコーチとしてやってくれ」と。
つまり、会社を辞めて監督をやれということですか?
ええ。その頃、コンサルタントとしてちょうど波に乗ってきた頃で、その仕事を離れるのは少し心残りもありましたが、後輩のために頑張ってみようかなと。でも、早稲田のラグビー部の監督は完全なボランティアで、大学の職員として雇ってくれるわけでもなく、収入源は自分で手当てしなければならない。幸い、ラグビー部のOBのある経営者の方がスポンサーとなって支援してくださり、何とか収入は確保できましたが、三菱総研時代と比べると半減しましたね(笑)。
日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター 中竹 竜二

いくら後輩のためとはいえ、収入が激減するような状況で、しかも経験のない監督に就任されることに迷いはありませんでしたか。
あまり迷いませんでした。それよりも「やらなければ」という使命感のほうが大きかったですね。
どうしても前任者と比べられてしまうので、普通はみなやりたがりませんよね。
私は人生を決める時、「自分にしかできないこと」を判断の軸にしています。私はラグビー界でずっと生きていくつもりはありませんでしたし、もし失敗してラグビー監督としての経歴に傷がついても何の支障もないので、このポジションに純粋に没頭できる。中継ぎとしては、まさに私が適任ではないかと。もともと打たれ強いほうですし、かえって厳しい環境のほうがやる気が出るタイプので、他に候補がいないのならやってみようと決意したのです。
実際に監督に就任してから、1年目はたいへん苦労されたようですね。
確かに苦労しました。私のようなド素人の監督の言うことなど、選手はまず聞いてくれない。露骨にため息をついたり舌打ちをする部員もいました。それも当然ですよね。これまで清宮さんのもとで一流のコーチングを受けていた部員からすれば、急に指導経験のない監督がやってきて「自分で考えろ」といきなり委ねられたわけですから。
部員たちからそうした態度を取られるのは、ショックではありませんでしたか。
もちろんショックでしたが、彼らが悪いとは思いませんでした。私は当初から「プレイするのは選手だから、勝つためには自分たちで考えなければならない」という信念がありましたし、それができる環境を提供できていない私の能力の低さに責任があるのだと。結果、1年目は大学選手権で優勝を逃してしまいました。早稲田のラグビー部は、たとえ準優勝だろうと「優勝以外は負け」という強烈な思想があるので、勝たせてあげられなかったのは本当に申し訳ないという気持ちでした。