採用コラム

Column Vol. 3

「採用に力を入れる」とはどういうことか?

今回はリクルートが行っていた「企業力を超える採用」についてお話しましょう。いまでは「人材輩出企業」と呼ばれるリクルートが、いわゆる一流大学を中心とした優秀な新卒学生の獲得競争に乗り出したのはバブル経済の時代でした。当然、欲しい学生は必ず他社と競合します。学生の志望先も旧財閥系の銀行や商社といった、ブランド力のある一流企業でした。現在とは異なり、当時のリクルートはまだ無名の会社です。そんな会社がどうやって一流企業から内定が出るような学生を獲得していたのか?

その手法は、誠意と熱意を持ってひたすら口説く。ただそれだけです。多くは入社1~2年目の社員であるリクルーターが熱く自社を語り、事業を語り、社会を語り、ひいては日本を語って口説き落としていったのです。そのためにかける努力も凄まじいものがありました。リクルーターは狙った学生と最低でも週に一回は会い、数時間は話をしていました。場合によってはそのまま一緒にサウナへ泊まり、エンドレスで口説き続けることもありました。ただ、リクルーターは新卒社員が多いので、自社や事業について語るといっても限界があります。そこで他の社員がフォローする体制も築かれていました。

例えばリクルートの採用支援ビジネスに興味を示した東大の学生がいれば、その業務を担当している東大OBの営業マネージャーを連れて行き、話を聞かせるという具合です。そうやって社内のいろいろな人たちに引き合わせ、仕事や事業の話を聞かせながら学生を口説いていったのです。

このようなフォローを可能にしていたのは「採用は最優先業務であり、日常業務に優先する」という、当時の江副社長が打ち出した方針です。採用部隊も社長直轄部門とされ、江副さん自身も優秀な学生が来社していると聞くと、他の仕事を抜け出して「ぜひうちに来てよ!」とフォローをしていました。

江副社長を筆頭に役員も皆、採用シーズンは採用業務にどっぷり浸かり、文字通り全社が総力をあげて「採用したい人」の採用に取り組んでいました。このような努力によって、何もしなければ都市銀行や大手商社に入社していたはずの学生たちをリクルートに引っ張ってきていたのです。

お客様から「採用に力を入れているけど、なかなかいい人材が採用できない」というお悩みを聞くことがよくあります。ただ、当時のリクルートの熱心さと比べたとき、あなたの会社は「採用に力を入れている」と胸を張って言えるでしょうか?

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「採用が変われば、企業が変わる」という信念を私たちは持っています。なぜ、そう確信しているのかといえば、「企業力を超える採用力」をやり続け、成功したリクルートでの経験があるからです。では、高成長を実現したリクルートの採用活動とはいかなるものだったか?

私は1986年にリクルートに入社して以降、7年間にわたり新卒、中途、アルバイト、留学生、役員とあらゆる階層の採用業務に携わってきました。入社時はちょうど日本がバブル経済を迎えた頃で、一年目は800人、二年目以降は1000人前後という新卒の大量採用を行っていました。ところが、会社説明会の出席者から採用する人数は全体のわずか5%未満、1000人の年なら50人程度でした。では残りの人数をどうやって採用していたかというと、リクルーターを通じてでした。ただし、一口にリクルーターと言っても他社とは位置づけがだいぶ異なります。

まず、リクルーターに配置する人数が非常に多く、採用予定人数の10分の1にものぼりました。要するに、1000人採用するために100人のリクルーターを配置していたのです。1人のリクルーターが10人を採用する計算ですね。リクルーターには新卒社員から、学生時代に体育会やサークルの主将をやっていたような、優秀で存在感のある人間が優先的に配属されていきました。つまり、ラインからも引く手あまたの期待されている人材を、採用の最前線に立たせたのです。

上司からリクルーターに対する指示はただ一つだけ。 「お前より優秀な奴を連れてこい!」 連れてくる学生は、リクルート志望がどうかはまったく関係ありません。というより、学生のほとんどはリクルートを志望していませんでした。

当時のリクルートは1985年に社名変更したばかりの段階で、現在のような知名度はありません。「無料で分厚いリクルートブックを送ってくるから、半官半民の会社だろう」という誤解されたイメージも根強かったぐらいです。いわゆる一流大学の学生から、就職志望先としてあげられることはまずありませんでした。そうした学生たちが主に志望しているのは、当時は銀行や商社でした。それも、銀行なら当時の日本興業銀行を筆頭に三菱銀行、住友銀行など。商社なら三菱商事や三井物産、住友商事、伊藤忠商事など。こうした名だたる一流企業群と無名のリクルートが採用競争を繰り広げていたわけです。普通に考えればかなり分の悪い戦いです。ところが、勝率はかなりいい線をいっていました。

では、徒手空拳のリクルートが、一流企業を相手にどう戦っていたのか? その秘密は、次回にお話ししましょう。

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