採用コラム

Column Vol. 6

日本にいなければ海外から採用せよ!

最も新卒の採用人数が多かった時期、リクルートでは1000人もの人数を採用していました。これだけの人数を確保するだけでも相当な労力です。その上、当然のことですが、優秀な人材だけを厳選していました。たくさん採用するには、まずたくさんの学生に会わなければなりません。自分の知り合いに声をかけていくだけでは、すぐに行き詰まってしまいます。そこで知り合った学生に別の学生を紹介してもらったりしながら、どんどん学生に会っていきます。

この活動をたくさんのリクルーターでやると、リクルート全体としてもの凄い数の学生に接触する結果になります。たとえばある年は早大政経学部の学生との接触率は8割を超え、東大工学部のある学科の学生とは全員に会いました。神戸大の経済学部にいたっては、接触率が100%を超えました。つまり、同じ学生に二度以上接触していたというわけです。挙げ句の果てに「日本にいなければ海外にいるだろう」という発想で、アメリカの大学に通っている日本人の学生まで採用の網を広げ、私を含め4人が送り込まれ、全米の主要大学での採用活動が行われました。

格好良く見えるかもしれませんが、実はアメリカに行ったのはよいものの、何の手がかりもありませんでした。そこでまずやったことは、各大学の校門の前に立ち、ずっと日本人が来るのを待ち続けることでした。そして東洋系の顔の人を見付けると「Do you speak Japanese?」と聞くのです。せっかく声をかけても、ほとんどの人は中国系でしたが。それでも2~3時間、そうやって待ち続けていれば日本人に会うことができました。そうしたら、その人を起点にその大学に通っている日本人学生にどんどん会っていくと同時に、日本人会の世話役を紹介してもらったり、大学の就職部に行ったりしながら、ゲリラ的に採用活動を繰り広げました。

そうやってアメリカで採用した人数は10数人。自ら海外に出て勉強する意欲のある人は、相当優秀な方が多かったですね。また、新卒採用だけではなく、企業派遣でMBAコースに来ている方とも知り合い、数年がかりでアプローチして採用に至ったケースもありました。

当時の採用市場は学生の取り合いで過熱していましたが、海外までリクルーターを派遣して採用を行っていた会社はまずないと思います。いかにリクルートの採用活動が熱心かつ極端であったかがおわかりになるでしょう。「採用に力を入れてもいい人が採れない」という嘆きをよく耳にしますが、ここまで熱心な会社はあまりないと思います。どの会社でも視野をもっと広げて見れば、採用に関してもう一歩踏み込んでできること、やれることが見つかるかもしれません。

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この連載ではリクルートが急成長していた時代の採用戦略についてお話してきましたが、次のような疑問をもった方も多いと思います。「いくら熱心に口説いたからといって、本当に一流企業から引く手あまたの学生が知名度のない会社へ大量入社するものか?」それが本当なのです。例えば東大が20名以上、早稲田と慶応がそれぞれ50名以上と、当時はトップクラスの大学から凄まじい人数を採用していました。

学生を口説くとき、採用側が強く意識していたポイントは二つあります。一つは、「何をやるか」ではなく「誰とやるか」という軸で口説いていたことです。要するに、「こんな仕事ができる」ではなく、「こんな魅力的な人たちと仕事ができる」というアプローチをしていました。そのためリクルーターには、学生時代に体育会の主将やサークルのリーダーを務めていたような魅力的な人を優先的に配置していました。

もう一つのポイントは、当時は何をやっているのかよくわからない会社だったことを逆手にとり、「何か面白いことができそうな可能性」をアピールしたことです。世の中の会社はほとんど、既存の業種や業界に分類されます。しかしリクルートにはそうした既存の枠組みに当てはまらない部分がありました。それは発展途上のベンチャー企業の魅力であり、「自分たちの力でどうにでも将来を切り開ける」楽しさがあったと言えます。

リクルートに入社を決意した学生側から見ると、こんな風に映っていたはずです。 「この人となら働いてもいいな…」 「この会社なら面白いことができそうだな…」 一緒に働く人に対する魅力と、それが何かはわからないけど何かできそうなワクワク感。この2点が競合する一流企業の内定を蹴る大きな理由になったと思います。

付け加えると、条件面も優遇されていました。初任給は他社よりも高く、27歳くらいになるとメーカーに就職した人の倍くらいの給与をもらっていたと思います(もっとも、年齢が上がると賃金カーブが緩やかになり、生涯年収でみると決して高くはないのですが)。昇進も早く、26歳で課長になる人がいたぐらいです。当時はまだまだ年功序列が色濃く、大手企業では40歳にならないと課長になれない時代でしたから、異彩を放っていました。

ここからわかるのは、まだ世の中にあまり認知されていない企業が本気で優秀な人材を採用したいなら、自社の持てる魅力を見出し雄弁にアピールすることと、できる限り諸条件を魅力的にすることです。優秀な人材は欲しいが語るべき魅力はない。それでは口説きようがありません。

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