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Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

頑張ることを前提にしない。他人を気にせず、自分にフィットする生き方を貫いていく。株式会社クラシコム 青木耕平 頑張ることを前提にしない。他人を気にせず、 自分にフィットする生き方を貫いていく。

自分にフィットしたライフスタイルを求めるお客様に向けて、Webサービスの提供を通してその実現のお手伝いをしているクラシコム。現在、オリジナリティ溢れるメディア型ECサイト「北欧、暮らしの道具店」を展開して人気を博すとともに、残業を完全に廃するなど独自のカルチャーも注目を集めている。このクラシコムを立ち上げた青木氏に、起業に至る経緯や仕事に取り組む思想などについてお話をうかがった。
株式会社クラシコム 青木耕平

青木耕平氏

2006年、実妹である佐藤と株式会社クラシコム共同創業。2007年秋より北欧雑貨専門のECサイト「北欧、暮らしの道具店」を開業。「フィットする暮らし、つくろう。」というコンセプトのもと、北欧に限らず、世界各地、そして日本の、実用的でありつつ暮らしを彩るものを独自の視点でセレクトして販売している。現在は、EC事業のみならず、オリジナル商品の企画開発、WEBサイト上での日々の暮らしに関するコンテンツ配信や、企業とのタイアップ広告、リトルプレスの発行など多岐にわたるライフスタイル事業を展開中。

フラフラしていた20代。ある本との出会いが、起業を決意させた。

青木さんはどのような学生時代を過ごされたのでしょうか。
特筆することは何もありませんね。部活にも入っていませんでしたし、受験勉強もやりませんでしたし……学生時代、何かに一生懸命打ち込んだことなどまったくありませんでした。高校を卒業して7年間ほどは、定職にも就かず、短期間で稼げるテンポラリーな仕事で暮らしていました。トラックの運転手とか、市場の出荷作業とか、化粧品の実演販売とか、月の半分ぐらい働けばそこそこの収入になったんですよ。
そうでしたか。そんな青木さんが起業に至ったのは、どのような経緯だったのですか。
その頃は起業などまったく考えてもいませんでした。ただ20代後半にさしかかり、こんな働き方を続けていてはそろそろマズいと思って就職活動を始めたんです。でも、高校を出て7年もフラフラしていたような人間など、どこの企業も求めてはいない。当時は世間知らずだったこともあって、なぜ就職できないのかわからなかった。そのうち、自分は会社のことを何もわかっていないと気づいて、「まず企業がどんな人材を求めているのかを知らなければ」と思ったんですね、当時は90年代半ばで、ちょうど人材派遣業が盛り上がってきた頃でした。いろんな求人情報が集まる人材派遣業に身を置けば、いま世の中でどんな人材を必要とされているのかも理解できるし、自分に合う企業も見つかるんじゃないかと考えたのです。
起業する以前に、まず人材派遣会社に就職されたのですね。
そうです。当時の人材派遣会社は、まだ立ち上がったばかりだったこともあって、自社に登録してきた派遣スタッフで事業を回していたので入社のハードルが低かったんです。だから私のような人間も受け入れられ、コーディネーター業務に携わりました。そこでいろんな企業の求人情報に触れる機会を得たのですが、その募集要件に私は何ひとつ当てはまっていなかった。でも幸運だったのは、その頃ちょうどインターネットの勃興期で、ベンチャーが続々と生まれていたんです。ネットビジネスに関わったことのある人材はまだほとんどいなかったので、業務経験よりも意欲や根性がある人材が買われていて、ようやく私が活躍できる時代が来たなと(笑)。それで、あるネット企業の求人を見つけて営業担当にお願いし、私を派遣してもらったのです。その企業で3年ほどネットビジネスに関する業務に広く浅く携わり、ある程度の社会性やスキルを身につけることができたのですが、このまま正社員になって管理職に昇進することに個人的にあまり魅力を感じなくて……それで今後の身の振り方を悩んでいたところ、たまたま書店で、当時ヒットしていた『金持ち父さん 貧乏父さん』を見かけたんですね。その当時は、そうしたビジネス書は読まなかったのですが、装丁のデザインが洒落ていたので興味を持って購入したところ、内容にとても感化されました。
その本が、青木さんにとって起業を考えるきっかけになったのですね。
ええ。『金持ち父さん~』は読まれた方も多いと思いますが、内容を端的に言えば、人生において最良の働き方は投資家になることで、推奨しないのは従業員として出世しようとすること。そして投資家になるためにはまずビジネスオーナーになるべきだと訴えていて、当時の私にはとても都合のいい話で、雇われる側ではなく雇う側になればいいんだと単純に触発され(笑)、それで起業しようと決意したのです。そのネット企業を離れたのは27歳の時で、クラシコムを創業したのは7年後。その間、二社の起業を経験しました。一社は自分が主体になって立ち上げたものの、あまりうまくいかずに休眠しましたが、もう一社は共同経営者とともにNO.2の立場で事業に関わり、その企業は現在でも存続しています。そして34歳の時にこのクラシコムを立ち上げました。