ハイクラス転職のクライス&カンパニー

頑張ることを前提にしない。他人を気にせず、自分にフィットする生き方を貫いていく。

公開日:2017.05.09

自分にフィットしたライフスタイルを求めるお客様に向けて、Webサービスの提供を通してその実現のお手伝いをしているクラシコム。現在、オリジナリティ溢れるメディア型ECサイト「北欧、暮らしの道具店」を展開して人気を博すとともに、残業を完全に廃するなど独自のカルチャーも注目を集めている。このクラシコムを立ち上げた青木氏に、起業に至る経緯や仕事に取り組む思想などについてお話をうかがった。
青木耕平氏のプロフィール写真

青木 耕平 氏プロフィール

株式会社クラシコム「北欧、暮らしの道具店」 / 代表取締役

2006年、実妹である佐藤と株式会社クラシコム共同創業。2007年秋より北欧雑貨専門のECサイト「北欧、暮らしの道具店」を開業。「フィットする暮らし、つくろう。」というコンセプトのもと、北欧に限らず、世界各地、そして日本の、実用的でありつつ暮らしを彩るものを独自の視点でセレクトして販売している。現在は、EC事業のみならず、オリジナル商品の企画開発、WEBサイト上での日々の暮らしに関するコンテンツ配信や、企業とのタイアップ広告、リトルプレスの発行など多岐にわたるライフスタイル事業を展開中。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

フラフラしていた20代。ある本との出会いが、起業を決意させた。

――
青木さんはどのような学生時代を過ごされたのでしょうか。
青木

特筆することは何もありませんね。部活にも入っていませんでしたし、受験勉強もやりませんでしたし……学生時代、何かに一生懸命打ち込んだことなどまったくありませんでした。高校を卒業して7年間ほどは、定職にも就かず、短期間で稼げるテンポラリーな仕事で暮らしていました。トラックの運転手とか、市場の出荷作業とか、化粧品の実演販売とか、月の半分ぐらい働けばそこそこの収入になったんですよ。

――
そうでしたか。そんな青木さんが起業に至ったのは、どのような経緯だったのですか。
青木

その頃は起業などまったく考えてもいませんでした。ただ20代後半にさしかかり、こんな働き方を続けていてはそろそろマズいと思って就職活動を始めたんです。でも、高校を出て7年もフラフラしていたような人間など、どこの企業も求めてはいない。当時は世間知らずだったこともあって、なぜ就職できないのかわからなかった。そのうち、自分は会社のことを何もわかっていないと気づいて、「まず企業がどんな人材を求めているのかを知らなければ」と思ったんですね、当時は90年代半ばで、ちょうど人材派遣業が盛り上がってきた頃でした。いろんな求人情報が集まる人材派遣業に身を置けば、いま世の中でどんな人材を必要とされているのかも理解できるし、自分に合う企業も見つかるんじゃないかと考えたのです。

――
起業する以前に、まず人材派遣会社に就職されたのですね。
青木

そうです。当時の人材派遣会社は、まだ立ち上がったばかりだったこともあって、自社に登録してきた派遣スタッフで事業を回していたので入社のハードルが低かったんです。だから私のような人間も受け入れられ、コーディネーター業務に携わりました。そこでいろんな企業の求人情報に触れる機会を得たのですが、その募集要件に私は何ひとつ当てはまっていなかった。でも幸運だったのは、その頃ちょうどインターネットの勃興期で、ベンチャーが続々と生まれていたんです。ネットビジネスに関わったことのある人材はまだほとんどいなかったので、業務経験よりも意欲や根性がある人材が買われていて、ようやく私が活躍できる時代が来たなと(笑)。それで、あるネット企業の求人を見つけて営業担当にお願いし、私を派遣してもらったのです。その企業で3年ほどネットビジネスに関する業務に広く浅く携わり、ある程度の社会性やスキルを身につけることができたのですが、このまま正社員になって管理職に昇進することに個人的にあまり魅力を感じなくて……それで今後の身の振り方を悩んでいたところ、たまたま書店で、当時ヒットしていた『金持ち父さん 貧乏父さん』を見かけたんですね。その当時は、そうしたビジネス書は読まなかったのですが、装丁のデザインが洒落ていたので興味を持って購入したところ、内容にとても感化されました。

――
その本が、青木さんにとって起業を考えるきっかけになったのですね。
青木

ええ。『金持ち父さん~』は読まれた方も多いと思いますが、内容を端的に言えば、人生において最良の働き方は投資家になることで、推奨しないのは従業員として出世しようとすること。そして投資家になるためにはまずビジネスオーナーになるべきだと訴えていて、当時の私にはとても都合のいい話で、雇われる側ではなく雇う側になればいいんだと単純に触発され(笑)、それで起業しようと決意したのです。そのネット企業を離れたのは27歳の時で、クラシコムを創業したのは7年後。その間、二社の起業を経験しました。一社は自分が主体になって立ち上げたものの、あまりうまくいかずに休眠しましたが、もう一社は共同経営者とともにNO.2の立場で事業に関わり、その企業は現在でも存続しています。そして34歳の時にこのクラシコムを立ち上げました。

オーソドックスなECで年商1億円を突破しても、幸せにはなれなかった。

オーソドックスなECで年商1億円を突破しても、幸せにはなれなかった。

――
青木さんは2006年にクラシコムを創業されたとのことですが、当初から現在のような事業を営まれていたのですか。
青木

いえ、最初に起業のテーマとして選んだのは、賃貸不動産のEマーケットプレイスでした。以前に共同経営していた企業が建設設備のメンテナンスを手がけていて、その関係で不動産業界とつきあいがあり、当時“ネット×不動産”が注目されていたのでCtoCの賃貸不動産取引を手がけてみようと。しかし既得権や規制が複雑に絡んだ難しい領域でビジネスを立ち上げるには圧倒的に力量が足りていなかったこともあり、成果が出ないまま1年経たないうちに資金が尽きかけ、このままいくと会社を畳まざるを得ない状況になってしまいました。

――
起業していきなり大きな危機を迎えてしまったのですね。
青木

妹(佐藤友子氏:株式会社クラシコム取締役)に事業を手伝ってもらっていたのですが、大変な思いをさせて兄として本当に申し訳なくて……その時、彼女が「以前に旅行した北欧がとても良かったのでもう一度行ってみたい」と話しているのを聞いて、お詫びの意味も込め会社に残っている資金で最後に社員旅行をしようと。まあ、その時は自棄になっていたところもあったのですが、時間を置くと徐々に気持ちも持ち直して、「せっかく北欧に行くのなら、現地で何か商品を調達して国内で売れば旅費ぐらいは稼げるのでは?」と考えて妹に聞いたんですね。すると、いま北欧のヴィンテージの食器が日本で人気があるとのこと。それで旅行先でカードの限度額まで食器を買い込んだのですが、まったく梱包などがなっていなく、日本に送ったうちの半分ぐらい破損していて売り物にならなかったんです。残りをネットオークションなどで捌いたところで元は取れない。愕然としたのですが、もう開き直り、ならば自らECサイトを立ち上げて、もし人気があるようなら売り切れた後でも「次回入荷時にメールします」と告知すれば、お客様のリストが作れるのではないかと考えたのです。

――
サイトを立ち上げるにあたって、商品を売るということではなく、お客様のリストを集めることを目的にしようと発想を転換されたわけですね。
青木

当初はそれほど真剣に取り組むつもりはなかったのですが、暇だったので自分なりに北欧についてリサーチしてみると、北欧のライフスタイルは現地発のグローバル企業のマーケティング活動を通じて絶えずブランディングされ、リマインドされている状況があり、常に需要が喚起される構造があることがわかりました。また、北欧はものづくりの基盤が強固でデザイン性にも優れた製品が続々と供給される構造になっているため、あるべき品揃えを実現し、商品の安定的な供給を実現することができる環境も備わっている。これはビジネスとして充分成立すると考え、本気でやってみようと決めたのです。事実、メルマガを打つとどんどんレスポンスが返ってきて、北欧商品を扱うECサイトとして軌道に乗りました。

――
それが、いま展開されている「北欧、暮らしの道具店」の原型なのですね。更に現在では商品を売るというECだけではなく、暮らしのスタイルを発信するメディアへと変貌していますが、そこには何かきっかけがあったのでしょうか。
青木

2010年には月商が1000万円にまで成長し、年間の売上高が1億円を突破しました。億の大台に乗ればさぞ幸せになれるだろうと思っていたのですが、いざ到達してみるとそうでもなかったのです。売上1億円程度では利益はそれほど出ないし、毎日大変な思いばかり。社員も抱えて運転資金として3000万円ぐらい借り入れていたので、そうなるともう簡単には事業をやめられない状況になってしまっていました。そして、そのままのペースでいけば2年後には売上が5億円くらいになるももの、借入れも1億円程になって、状況は何も変わらないのだろうなということもみえてきたのです。このまま淡々と事業拡大すると、続けたくなくても借り入れを返済のために続けざるを得ない状況になってしまう。その様子を想像したとき、あらためて、起業したからには先々に希望や夢を持って成長を楽しみにできるような事業をやりたい、と強く感じるに至りました。

――
年商1億円を突破してまだまだ伸びそうな状況がみえていても、青木さんとしては幸せになれなかったと。
青木

正直、全然楽しくなかったですね。その時、なぜこんなにも事業が苦しいのだろうとあらためて考えると、通販というのは売上を急速に伸ばすためにマーケティングコストがかかるんですね。売上の20%を投じるのがセオリーだと言われていましたが、それでは利益が出せず話にならない。PLを分析すると、結局コスト高の大きな要因は「広告宣伝費」。売上の15%を占めていて、これを抑えれば収益が上がる。そこで広告について見直したんです。我々のサイト自身が集客力をつければ、広告料を払う側から広告料を取れる側に立てるのではないかと。そこで広告に費やしていたお金を、お客様を集めるためのコンテンツをつくることに力を注ごうと大きくシフトしたのです。

――
そうしてメディア型のサイトに方向転換されたことが、功を奏したわけですね。
青木

時代の流れも味方してくれたと思います。その頃ちょうどスマートフォンが普及してSNSが急速に盛り上がってきたんですね。すなわち「PC×検索エンジン」から「スマホ×SNS」で情報を集める時代変わっていった。そこではSNSのタイムラインに載ってシェアされないとサイトが発見されない。そんななかで我々は単なる商品紹介ではなく、誰でも興味が持てるようなコンテンツ、SNS上でネタになるようなコンテンツのストックがすでにたくさんあって、それがシェアされて我々のサイトが注目されるようになったんですね。

自分が気持ちよければ、他人のことは気にならない。経営もそうありたい。

自分が気持ちよければ、他人のことは気にならない。経営もそうありたい。

――
青木さんは、いわゆる「コンテンツマーケティング」を他に先駆けて展開されていたのですね。おそらく当時はまだ一般的ではなかったと思いますが、どのような考え方でコンテンツを作られていたのですか。
青木

インターネット上のコンテンツというのは、映画や小説と違って、コンテンツがコンテンツとして独立して評価されるものではないと思うんですね。読者が共有している文脈感を裏切られなければニーズは満たせる。要はコミュニケーションのためのコンテンツで、自分たちの実力に見合わないクオリティを求めて疲弊するよりは、自分たちが継続できるレベルのものを頻度高く提供しようと。家族や友人との会話も、毎日たわいもないことを言い合うのが楽しいじゃないですか。それと同じで、コンテンツを通じて世間を驚かすのではなく、コンテンツを通じてお客様と絶え間なく接点を作り、心地いいと思ってもらおうと。お客様と共感できて、読んでいて疲れたり不安になったりしないコンテンツを、お客様が読みたい時に読みたいだけ用意しようと。

――
そうして積み重ねてこられたコンテンツが圧倒的なストックとなり、時代が変化した時にぐっと優位に立つことができたわけですね。いまのお話ですと、青木さんのビジネスは「心地よさ」がキーワードになっているように感じます。
青木

クラシコムのミッションは「フィットする暮らし、つくろう」ということ。「幸せな暮らし」でも「豊かな暮らし」でもありません。幸せや豊かさというのは概念であり、人によって異なる。我々が望んでいるのは、お客様ひとりひとりが自分にフィットした生き方をしてほしいということ。たとえば自分にぴったりのお気に入りのシャツを着ていると、他人の格好がうらやましいなどとは思わない。これは概念ではなく感覚なので我々が目指せるもの。自分が気持ちよく生きてれば、他人のことは気にならない。他人を妬んだり僻んだりする気持ちがなくなれば、世の中はもっと満たされる。だからお客様に自分が「心地いい」と思えるものに気づいてもらって、フィットする暮らしを送るうえで役に立つ商品やヒントを届けたいんですね。そして我々自身も、この事業活動を通じてフィットする暮らしを実現できることを証明して、お客様をエンパワーメントしたいと思っています。いま当社が18時で全員退社する経営を行っているのもその一環です。

――
確かにおっしゃる通り、他人が羨ましいと思う気持ちや、他人を蹴落としてまで競争しようと思う気持ちがなくなれば、もっと心地よく暮らせる人は増えると思います。とはいえ、なかなかそうした気持ちを自分のなかから消し去るのは難しいのでは?と感じますが、青木さんは何か工夫をされているのでしょうか。
青木

私自身、他人と競争するのが嫌なんですね。自分を他人と比べるのも嫌。そうはいっても人間は宿命的にそういう部分があるので、私は同業者があつまるイベントなどには行かない、似たような業種のひととはできるだけ会わないようにすると決めています。カンファレンスなどに参加すればやはり同業者のことが気になりますし、成功事例を試してみたくもなる。でも、それを手当たり次第に試すと事業が混乱してしまう。重要なのはサービスの一貫性であり、きれいなベクトルで先に進むためにはあくまで自分の頭で考えること。逆に我々は業界に通じていないので、知らないことがたくさんあって、それが独自性につながっているとも感じています。知らないことが原因で失敗したら、その時に勉強すればいいと割り切っています。

――
なるほど、他人と比較しない状況に自ら身を置かれているのですね。一方で事業規模が大きくなると失敗することが怖くなったりしませんか。
青木

もちろん失敗するのは怖いです。でも私は気が小さいので、失敗の兆しが見えたらもう怖くて放置しておけないんですね、そこですぐに止めてしまう。だから結果的に傷は浅い。事実、これまで何度も失敗しては撤退してきましたし、10回打席に立って1本ヒットが打てればいいというぐらいの気持ちで臨んでいます。

――
怖いからやらない、怖いから他人の真似をする、のではなくまず自分の信念に基づいてやってみて、そこから失敗の兆しに敏感になる、というスタイルでいらっしゃるのですね。その結果、大きなヒットを打って、いまクラシコムは世の中に価値を提供できる企業へと大きく発展しています。振り返ってご自身にとっての分岐的は何だったのでしょうか。
青木

分岐点だらけでしたね(笑)。ただ一貫しているのは「頑張らないとできないことはやらない」という信念で意志決定をしてきたことでしょうか。都合のいい話ですが、できれば必死で頑張らなくても成果が上がるビジネスを手がけたい。事業を開発する段階で、優秀な人材が死にもの狂いで頑張って立ち上げても、それを維持していくためには優秀な人材が必要。その優秀な人間がいなくなったら事業がうまくいかなくなるようでは駄目だと思っています。でも、とりあえずいろんな事業を検討してみると、10のうちひとつぐらいは自然と成果が上がる、つまり世の中に強く求められるビジネスに出会えるんですよ。たまたま幸運だっただけかもしれませんが……。

――
いえ、私は青木さんのお話しを伺って偶然のラッキーにあたったのではなく、青木さんの自然体なスタンスそのものが幸運を引き寄せているのではないかと感じました。事業を立ち上げるにあたって「必死で頑張らない」というのは、個人的にはとても新鮮です。
青木

まあ、結果的には頑張ることになるんですが(笑)、どうせ頑張るなら大きな成果が生み出せて、見返りが多いことを楽しめる場所で頑張りたいじゃないですか。「頑張る」のが前提になるのが嫌なんです。社員も可哀想。我々はミッションを実現するためのビジョンとして「自由」「平和」「希望」の3つを掲げています。他社の支配を受けずに自由でいられる事業を構築する。他社と不要な競争をする必要のない平和でユニークな事業を創る。将来がより良くなりそうだという展望をもって働ける事業にこだわる。この3つが揃うビジネスしかやるつもりはありません。いま手がけている「北欧、暮らしの道具店」は、この3つを満たせたと思っていますが、現状のビジネスサイズが適正であり、これを無理して100億200億にもっていっても、おそらく幸せにはなれない。それこそ頑張ることだけが前提になってしまうと考えています。だからいまの私の使命は、自由・平和・希望を感じられて、みんなが素直に、そして自然体で没頭できる新しい物語、ストーリーを描いていくことである、そう強く感じています。

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

TURNING POINTの最新記事をお届けします。

インタビューを終えて

「フィットする暮らし、つくろう」というミッションを掲げるクラシコム社。今回は、その同社の生みの親である青木さんへインタビューさせていただきました。 青木さんは、「お気に入りのシャツを着ているときのような」と表現されましたが、サービスを通じて、幸せや豊かさという上下や差を内包する概念ではなく、個々人がそれぞれの感覚のなかで心地よいと思える暮らしをおくるためのヒントを提供していきたいと語られました。他との競争や比較ではなく、他が気にならなくなるような心地良い暮らしをおくるためのヒント。この非常に素敵なコンセプトに大変共感しました。 またそして、そのサービスへのこだわりは、青木さんご自身の生き方へのこだわりそのものでもありました。「他人のキャリアヒストリーをトレースしようと思わない方がいい。キャリアも人生も人ぞれぞれ。人の幸せは必ずしも自分の幸せとは限らない。大事なのは自分らしいかどうか」との言葉を最近ある方からフィードバックとして受けたのですが、それはまさに青木さんの生き方と合致するものでした。他人との比較と距離をおき、自分自身が心地よくいられる状態に純粋に従って生きていらっしゃる方、それが青木さんでした。常にお気に入りのシャツを着ている気持ちで、身も心も軽やかに、そして全く肩肘張らずに清々しく生きている青木さんに自然と惹きこまれ、私自身も穏やかな気持ちになってしまう、そんなインタビュータイムでした。長時間ありがとうございました。

other interview post

ページ上部へ戻る
CLOSE