ホーム >  TURNING POINT トップへ >  高橋 智隆 / ロボットクリエイター (Vol.17)

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Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

株式会社ロボ・ガレージ 「悪友」目線で、物事を選択する。きっとそのほうが人生はユニークで面白くなる。 株式会社ロボ・ガレージ 「悪友」目線で、物事を選択する。きっとそのほうが人生はユニークで面白くなる。

一般家庭向けの二足歩行型コミュニケーションロボットとして大人気を博した「ロビ」や、シャープとの共同開発によるモバイル型ロボット端末「RoBoHoN(ロボホン)」など、ユニークな製品を次々と世の中に送り出し、いまは世界的にも名高いロボットクリエーターの高橋氏。なぜ高橋氏はこうして成功を収めることができたのか、その生き方と考え方について話をおうかがいした。
株式会社ロボ・ガレージ 高橋智隆

高橋 智隆氏

1975年生まれ。立命館大学を卒業後、京都大学工学部に再入学。在学中より二足歩行ロボットの開発を始め、2003年の卒業と同時に「ロボ・ガレージ」を創業し京都大学内入居ベンチャー第一号となる。代表作にロボットスマホ「ロボホン」、デアゴスティーニ「週刊ロビ」など。米『TIME』誌で「最もクールな発明」に、『ポピュラーサイエンス』誌では「未来を変える33人」に選ばれる。ロボカップ5年連続優勝。現在、(株)ロボ・ガレージ代表取締役、東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、大阪電気通信大学客員教授、ヒューマンアカデミーロボット教室顧問を務める。

二度目の大学生活で、趣味で始めたロボット開発。
それがいまに繋がっている。

高橋さんは幼少時代、どのような環境でお育ちになられたのですか。
両親は、特別に教育熱心というわけではなかったですし、私自身も勉強が好きではありませんでした。親に言われて嫌々勉強するという、ごくごく普通の家庭環境だったと思います。
ものづくりは小さい頃からお好きだったのでしょうか。
工作は好きでした。小さい頃、私も一般的な男子の例に漏れず、超合金のロボットの玩具が欲しくて親にねだったのですが、そんなものは低俗だと親が買い与えてくれたのはレゴブロックでした。しょうがないので、それでよくロボットを作っていましたね。でも、工作ばかりに熱中していたわけでもなく、学校で流行った遊びは一通りやっていました。小学生の終わり頃、当時琵琶湖畔に住んでいたこともあってブラックバス釣りが流行り始め、私もすっかり釣りの虜になりまして、以降、学生時代はずっと釣りに熱中していました。
株式会社ロボ・ガレージ

高校卒業後、高橋さんは立命館大学の産業社会学部に入学されていますが、なぜこの学部を選んだのですか。
私は高校から立命館でしてエスカレーター式で進学できたので、バブル景気の最中、あまり深く考えず、一番楽そうな学部を選んだというのが正直なところです。
高橋さんはその立命館大学を卒業後、京都大学の工学部に再入学されています。これはどのような経緯からだったのでしょうか。
最初は就職しようと考えていました。バブル崩壊で山一證券が破綻したのがちょうど大学4年の時でした。就職難でしたが、自分の好きなことと仕事を合致させたいと釣具メーカーを志望したのですが、意中の企業からは内定は得られず。その時、ものづくりが好きなのだから工学部に進んでおけば良かったなと後悔して、それで1年間予備校に通って勉強し、センター試験を経て京都大学を再受験したのです。まだ学生で居たかった、という面もなくはないですが。
そこでもし釣具メーカーに就職が決まっていたら、ロボットクリエーターとしてのいまの高橋さんはなかったと。
そうですね。京大に入ってから独学でロボットを作り始めて、それがいまに繋がっていますから……最初に手がけたのは、ガンプラの中に歯車を入れて二足歩行できる機構にし、リモコンで操縦できるようにしたロボット。まったくの趣味で作ったのですが、想像以上にうまく歩いてくれて、大学を通じて特許を取って商品化もされました。自分の作品が店頭に並んだ時はやはりうれしかったですね。
それがきっかけで起業されることになったのですか?
それが、起業しようとは学生時代まったく考えていなくて、普通に就職するつもりだったんですね。でも当時、大学発のベンチャーを支援する気運が高まっていて、京大内でもベンチャーインキュベーション施設を作って頂けることになりました。もし失敗したらその時就職すればいいぐらいの軽い気持ちで、京大ベンチャービジネスラボラトリーの第一号として入居し「ロボ・ガレージ」を創業したのです。