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Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

「編集」と「経営」は似ている。 どちらも「意思決定」の塊だ。 「編集」と「経営」は似ている。 どちらも「意思決定」の塊だ。

講談社に在籍時代、編集者として「バガボンド」や「ドラゴン桜」、「宇宙兄弟」などのヒット作品を次々と手がけ、その後、独立起業して「作家のエージェント業」を営む株式会社コルクを立ち上げた佐渡島庸平氏。国内では例のないビジネスに臨む佐渡島氏のこれまでのキャリアや転機、そして編集者兼経営者としての思想や哲学をうかがった。
株式会社コルク 代表取締役社長佐渡島庸平氏

佐渡島庸平氏

1979年生まれ。中学時代は南アフリカ共和国で過ごす。灘高校から東京大学文学部に進学し、大学卒業後の2002年に講談社に入社し、週刊モーニング編集部に所属。『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社、コルクを設立。

文学者を志した大学時代。意図せぬ就職後、編集者のほうが面白いと気づいた。

佐渡島さんは東大文学部を卒業後に講談社に入社されていますが、大学時代はどのように過ごされていたのですか。
本ばかり読んでいました。当時は文学の研究者を志していて、一日に本を一冊読み、映画を一本観ることを自分に課して日々過ごしていました。英米文学が好きで、シェークスピアのマイナーな作品など片っ端から読破していましたね。ですから、おのずとあまり人と関わらなくなってしまった。周囲にも私は「人嫌い」だと映っていたようで、先日、大学時代の友人と久しぶりに会って食事したのですが、いまこうして私が起業し、いろんな人と会いまくっているのを知って、『佐渡島って人が好きだったの?』と驚かれたぐらいで(笑)。
そんな佐渡島さんが講談社に入社されたのは、どのような経緯だったのですか。
本当は社会に出たくなかったんです。就職なんてしたくなかった。いま振り返ると、社会から否定されるのが嫌だったんですね。学生は否定されないじゃないですか。そうはいってもこちらが授業料を払っているお客様なので、大学から拒絶されることはない。でも社会に出るとそうはいかない。ほんの些細な否定でも受け入れられないぐらい、当時の私はプライドが高かった。ですから、消去法で大学院に進学しようと考えたのですが、親が大学院の学費を出す条件として、とりあえず就職活動は経験しろと告げてきたんですね。そこで、本を創る仕事ができる出版社を志望して3か月間だけ就活に取り組んだのですが、そこでたまたま講談社に受かって……実は講談社の最終面接まで進んだ段階で、親からは「もう就活を止めていいよ」と許しが出たのですが、ここまで来たのなら最後までやり遂げようと最終面接に臨み、せっかく内定をいただけたので、これを無にしてしまうのはもったいないと就職することに決めました。
学生時代にあまり人と関わらず、就職も望んでいなかった佐渡島さんが、社会に出ていきなり編集者の仕事に携わることになったわけですね。ギャップはお感じになりませんでしたか。
私は文学者になりたかったわけですが、文学者というのは本を読んで作家の想いを推論し、論文を書くのが仕事。一方、編集者は本を読んで作家の想いを考えるところまでは同じですが、それを直に作家に問い質せる。論じた内容の妥当性を学者同士で検証することよりも、自らそれを作家に伝え、そこから作家が刺激を受けてより面白い本を書いてくれるほうが私にとっては楽しいし、はるかに意義がある。これこそが私のやりたかった仕事だと気づき、すぐにのめり込みました。
編集者時代、佐渡島さんはどんなことを考えて仕事と向き合っていたのですか。
「編集者とは何か?」をいつも考えていましたね。良い編集者というのは人によって意見がばらばらで、定義が明確ではないんですね。出版業界でも価値観が定まっていない。おそらくどの業界でもそうなんじゃないでしょうか。転職エージェントもそうですよね? 良い転職エージェントとして評価されるポイントは、斡旋した人数なのか、顧客満足度なのか、会社の価値観によって異なる。逆にその定義が明確になっている企業は強いと思うのです。優秀な企業というのは、そうした価値観が言語化され、文化となって継承されている。いま起業してあらためてその重要性を認識していますが、当時から編集者の仕事を言語化して、自分のなかで再現性を持って取り組んでいくことに努めていました。