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Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

「思い」を持って仕事に臨む人に、成長曲線はかなわない。 だから年収が20分の1になろうと、素直に生きる。 「思い」を持って仕事に臨む人に、成長曲線はかなわない。だから年収が20分の1になろうと、素直に生きる。 : 株式会社マザーハウス 取締役副社長 山崎大祐氏

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」。そんなビジョンを掲げ、発展途上国で企画・生産したアパレル製品や雑貨を、日本をはじめ先進国で販売するという事業に挑んでいる株式会社マザーハウス。その経営に参画している山崎氏は、かつて世界的な投資銀行でエコノミストを務めていたという異色の経歴の持ち主だ。なぜ山崎氏は、エコノミストという地位や高額な報酬をなげうって、敢えて困難なベンチャービジネスの世界に飛び込んだのか。これまでの生き方をふりかえり、その思いを語っていただいた。
株式会社マザーハウス 取締役副社長 山崎大祐氏

山崎大祐氏

1980年、東京都生まれ。2003年慶應義塾大学総合政策学部卒業、ゴールドマン・サックス証券に入社。日本法人で数少ないエコノミストの1人として活躍し、日本及びアジア経済の分析・調査・研究に従事。在職中から後輩の山口絵理子氏(現・マザーハウス代表取締役)の起業準備を手伝い、2007年3月にゴールドマン・サックス証券を退職。株式会社マザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。現在、マーケティング・生産の両サイドを管理。また、さまざまなテーマで社外の方々と議論を深める「マザーハウス・カレッジ」も主催。

豊かさとは何か。そんなテーマに、もがき苦しんだ大学時代。

山崎さんは大学卒業後、ゴールドマン・サックスに入社されましたが、当初から「経済」に興味をお持ちだったのですか。
いえ、高校時代までは完全な理系バカで、物理学者になろうと思っていました。数学の偏差値が70台で英語が40台でしたから(笑)、いまのようにグローバルで仕事をするなんて想像もしていませんでしたね。大学受験では物理の研究者を目指して国立大学の物理学科を志望したのですが、その時にあらためて自分の夢を考えると、もうひとつ頭の中によみがえってきたことがあって……それは、小学校5年の時にテレビで見た「ベルリンの壁の崩壊」。子供心ながら「大衆が世界を変える」という光景に感動し、そうした映像を伝えるジャーナリストにずっと憧れがあった。それで、メディア系の学部で偏差値が一番高い慶應の総合政策学部を記念受験したのですが、英語が全然できなくて、当然落ちるものだと思っていて合格発表の日に彼女と遊びに行っていたのですが(笑)、結果はなんと合格。国立大の物理学科にも合格し、どちらに進もうか迷ったものの、もともとの夢を選びました。
では、大学ではジャーナリストになるための勉強を?
ドキュメンタリーをひたすら撮っていましたね(笑)。私自身、母子家庭で経済的に苦労したこともあって、世界の貧しい人たちを撮りたいという思いがありました。それでベトナムのストリート・チルドレンを取材しに現地に赴いたのですが、私としては「可哀そうな子供たち」をカメラに収めたかったものの、物売りの子供たちに会うとみんなとても明るくて……現実にはブローカーに搾取されている構図なのですが、子供たちの笑顔は貧しさを微塵も感じさせないものだった。夢を聞くと、目を輝かして30分延々と私に語かけてくる。衝撃的でした。そしてその時、思ったんです。日本の子供たちは30分も夢を語れるだろうか? 確かに経済的には日本は裕福だけども、将来を信じられない我々日本人は本当に豊かなんだろうか?と。いろいろ悶々としながら帰国し、「豊かさとは何か」を紐解こうとしたところ、行き当たったのが経済学でした。もともと経済学というのは、マルクスにせよケインズにせよ、みな「目の前の人が飢えている世界をどう変えるか」がテーマであり、そこに自分が求める答えがあるんじゃないかと。それで竹中平蔵先生のゼミに入り、ドキュメンタリーを撮るのをやめて、ひたすら経済を勉強しました。
大学時代に訪れたベトナムでの経験が 山崎さんを「経済」に目覚めさせたのですね。
でも、経済学の勉強も行き詰まってしまったんです。当時はちょうどアジア金融危機後で、それに関する研究が盛んだったのですが、貧困解決に寄与する策にどんなに取り組もうと金融危機が起こるとすべて水の泡になってしまう。その理不尽さに憤りを覚え、「金融至上主義は間違っている!」とマルクス経済学に傾倒。家に閉じこもって経済書を読みふけり、半分鬱のような状態になってしまい、大学にも行かなくなりました。
金融について学べば学ぶほど、その理不尽さを感じて苦しまれたと。そうした状況から、どうやって抜け出したのですか。
自分自身が八方塞がりになり、もうどうしようもなくなって「旅が何かを変えてくれるかも」とイギリスにふらっと旅行したんです。イギリスのシュルズベリーという美しい田園風景が広がる地方都市を訪れたのですが、昼は賑やかな街だったのに夜になると街中に誰もいなくなってしまった。警察官に「街の人はどこに行ったのか?」と聞くと「スタジアムだ」と。それでスタジアムを訪れてみると、ものすごい観衆がサッカーに熱狂している。隣に座ったおばあちゃんなんて、放送禁止用語を連呼しているような有様(笑)。その場で「人が生きる価値って何だろう」って思ったのです。サッカーに命かけるという価値観は、自分には理解できない。でもこの人たちは幸せそうだ、と。あと、もうひとつイギリスで経験したことがあって、ロンドンの美術館に立ち寄った際、そこでダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」に触れて、その絵のエネルギーに圧倒されて……美術なんて興味はなかったんですが、150年前の絵が人の心を動かすということを肌で知った。それまでの私は、本ばかり読んで「何も答えを与えてくれない」と苦しんでいたのですが、人が生きる喜びはアカデミックなアプローチからだけじゃわからないと気づいたんです。
知らない世界に出会ったことが、山崎さんを立ち直らせてくれたと。
イギリスでの出来事は私にとって非常に大きなものでしたが、大学にまた行くようになった最大のきっかけは、実は好きな人ができたからなんです(笑)。結局、人間なんてそんなもの。私が大学4年間でいちばん学んだことは「好きこそものの上手なれ」。どんなに難しいことを勉強しても、結局私は大学に行けなくなってしまい、幸せになれなかった。幸せじゃない人が、世界を幸せに変えられるわけがない。それからすべてをポジティブに考えるようになった。いまの私の原点はそこにあるように思います。