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Turning Point 転機をチャンスに変えた瞬間~ビジネスの現場から~

なぜミドリムシをあきらめなかったか 人と地球の健康のために なぜミドリムシをあきらめなかったか人と地球の健康のために : 株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充氏

ミドリムシ(学名:ユーグレナ)は人間に必要な栄養素のほぼすべてを含み機能性食品として活用されるほか、二酸化炭素の排出削減やバイオ燃料の研究も進められている。このミドリムシの屋外大量培養に世界で初めて成功した株式会社ユーグレナの創業社長出雲充さんは、軌道に乗るまでさまざまな危機の連続であった。どうやってそれらのピンチを乗り越えることができたのだろうか。
株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充氏

出雲 充氏

1980年生まれ。1998年東京大学文科三類入学。在学中「アジア太平洋学生起業家会議」の日本代表を務め、3年進学時に農学部に転部。2002年同大学卒業後、東京三菱銀行に入行。退職後米バブソン大学「プライス・バブソンプログラム」修了、経済産業省・米商務省「平沼エヴァンズイニシアティブ訪米ミッション」委員を務め、2005年株式会社ユーグレナを創業し代表取締役に就任。2010年は内閣の知的財産戦略本部「知的財産による競争力強化・国際標準化専門調査会」委員も務める。中小企業基盤整備機構Japan Venture Awards 2012「経済産業大臣賞」受賞(2012年)、世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader 2012選出(2012年)。信念は『ミドリムシが地球を救う』。

著書

「あなたは銀行員をやりたいのか、ミドリムシをやりたいのか?」

大学を卒業して社会に出るとき、出雲さんはどんなことを考えていましたか。
私は大学3年のときにミドリムシと出会い、世界から栄養失調をなくすにはミドリムシしかないと思っていました。しかし、光合成で植物性の栄養素をつくり出すと同時に自ら動く性質を持ち、動物性の栄養素をつくることができるミドリムシですが、当時は大量に培養する技術はまだ確立されていませんでした。そんな状況で勿論自分自身どうやって事業をするかというアイデアがあるわけではなく、そもそもお金もありませんでした。ということでまずは銀行に入って武者修行しよう。ミドリムシ研究にはお金がかかるので、資金調達などの勉強をしよう、と考え銀行に就職しました。ということで、学生時代にはあまりちゃんとした職業観のようなものは持っていませんでした。
もともとは世界の栄養失調をなくすということに関心をお持ちだったのですね。
高校生の頃は国連に就職し、貧困や飢餓をなくす仕事をしたいと思っていました。国連を目指している自分としては、まず貧しい国へ行き何かしら経験を積んだほうがいいと思い18歳のときにバングラデシュへグラミン銀行のインターンで行きました。そこで、山ほど炭水化物があるのに飢餓や栄養失調にあえぐ人たちがいる現実を目の当たりにしました。飢餓というのはカロリー不足だけではなく、人が健康に生きるための栄養素が不足することで起こるということも知りました。そうしたながれでミドリムシをなんとかして世に送り出したいと考えるようになりました。
その後、出雲さんは銀行を入社1年で退社されています。その理由は何でしたか。
銀行時代は会社の仕事を平日にしながら週末、全国のミドリムシ研究者を訪ね歩き、なぜ培養がうまくいかないのかをお聞きする生活を送っていました。そのなかである先生からこんな言葉をいただきました。「出雲さん、あなたはアマチュアのミドリムシ研究者のなかでは超一流といえるレベルです。ただ、あなたはプロではない。普段は銀行員ですからね」。つまり、日本では1980年からミドリムシ研究が行われているのですが、20年以上研究に取り組んできたプロの研究者が、ミドリムシ好きのアマチュアに20年も苦労して蓄積した研究テーマを教えるなんて虫のいい話はないということを言われたわけです。確かに、逆の立場だったら私もそう考えるだろうと思いました。「結局、あなたは銀行員をやりたいのか、ミドリムシをやりたいのか」という話で、他に浮気をしているような人と本気で一緒にやることはできませんよね、と。逆に気合を入れて銀行員をやっている人から見ても、何か大事な局面で「ミドリムシのほうが大切です」なんて言ったら「なんだ、それは」となってしまいます。なので、私はミドリムシ研究のメドが立ったから銀行を辞めたのではなく、メドも見込みもないけれど、プロになることだけを心に決め、とりあえず辞めることにしました。
ミドリムシがものになる、という見込みがあったわけではないのですね。
そうです。そして、これは私が意図していたことではなかったのですが、研究者の先生たちに「ミドリムシを真剣にやりたいので銀行を辞めました」と報告すると、どの先生からもびっくりされました。しかも、若い子が銀行を辞めて夢を追ってミドリムシ業界に飛び込んできたのに、そのままにしてしまったら業界としても格好がつかないと考えていただいたのか、日本中のミドリムシの先生たちがこうなったら協力してやるしかないなと。本当は研究も競争なのでみんなで協力するという雰囲気にはなかなかならないのですが、学会で一番偉かった先生が「いままでうまくいっていないのだから、みんなで協力して世の中にデビューさせよう」といってくれたのです。それで若い私たちがいろいろなところに教えを乞いにうかがわせていただくことができ、研究も進み会社をつくることになったのです。
成功の見込みがあって起業する、という一般的なイメージとは順番が異なりますね。
ほとんどの方は私が銀行にいたときにミドリムシの培養技術を発明し、退職して会社を立ち上げたと思われているのですが、ものになる見込みがない段階で銀行を辞め、その後次第に研究が進んだ、という順番なのです。しかもまだ屋外大量培養技術は確立できていないという段階で会社をつくりました。つまり、売るものがないのに会社をつくったのです。面白いもので、そうすると自分含めてみんな必死になるんですね。社名のユーグレナとはミドリムシのことですが、「ミドリムシの会社」を謳っているのにミドリムシを培養できなかったら恥ずかしいですから。それでみんなで必死になって難しい研究をクリアし、ミドリムシを販売できるようになりました。ただし、販売できるようになりはしましたが、私は2006年の1月から2007年の12月まで約500社に営業し、一つも売れませんでしたが。